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歴史倶楽部例会 第126回例会



倭国・狗奴国論

講師: (財)大阪府文化財センター 水野正好理事長
2007年10月7日(日)大阪府立弥生文化博物館



	大阪府立弥生文化博物館で、平成19年9月29日(土)〜12月9日(日)の間、「平成19年秋季特別展」として、「日向・薩摩・大隅の
	群像 −南九州の弥生文化−」展が行われた。

	南九州では、広大な海に育まれた温暖な気候のもと、シラス台地の発達する独特の風土において、南からそして北からの多様な文化
	の交流がなされ、その中で花弁形住居などに代表される独特の弥生文化が形成された。
	さらに旧石器時代・縄紋時代から古墳時代・古代にいたるまでを、ひとつの流れでとらえ、その中で南九州の弥生文化を考える。
	今回の特別展では南九州の弥生文化を多彩な視点から見つめ、日向・薩摩・大隅と呼ばれたこの地の原像に迫る。

	その模様は残念ながら撮影禁止で写真はないが、「学ぶ邪馬台国」コーナーの「考古学セミナー」にSCAN画像を収めてあるので、興
	味がある人はご覧いただきたい。特別展開催日の 9月29日(土)には、この博物館の金関恕館長による「東アジアの広田遺跡」講演
	が、そして 10月7日(日)には大阪府文化財センターの理事長である水野正好氏による、「倭国・狗奴国論」が行われた。私は金関
	館長の講演も聴いたが、歴史倶楽部では本日の水野理事長に10人で参加した。





腹の出た弥生人(縄文人かな?)の末裔。




講演前に、水野正好先生と記念撮影。

		水野 正好 
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		■プロフィール 
		 1934年大阪市生まれ。大阪学芸大学卒業。
		 滋賀県教育委員会文化財保護課技師、大阪府教育委員会文化財保護課を経て、文化庁記念物保護調査官。
		 その後、奈良大学文学部長、学長(2期6年)を経て、現在奈良大学名誉教授、(財)大阪府化財センタ−理事長。
		 大阪府、大阪市環境影響評価委員、奈良県古都審議会など、文化財、文化行政にも関わっていて、いろいろなセミナー、
		 講演会でお目に掛かる。

		■研究概要 
		 本来は、日本宗教考古学が中心の研究テーマらしい。時代を問わず場を問わず、人の心性にかかわる遺跡・遺物を史料に
		 掛け合わせて、それぞれの場の宗教を復原しようとしている。縄文時代の集落と宗教、弥生時代の青銅器祭祀、古墳時代
		 の王権継承など、いろいろな諸問題に首をつっこんでいるが、邪馬台国論にも勿論参加していて、その広大な倭国論(現
		 在の日本=倭国)は、玄人ばかりか、素人からも「奇想天外な説」と思われている。しかしその豊富な知識と巧みな話術
		 で、あるいは本来の性格もあってか、講演はおもしろく結構ファンが多い。だが述べたように、「邪馬台国論」としては
		 どちらかと言えば「お遊び」の説である。

		■主な業績・著書 
		 角川書店 『日本文明史・島国の原像』
		 講談社  『日本原始美術体系・埴輪』
		 講談社  『日本原始美術体系・土偶』
		 吉川弘文館『古代を考える・河内飛鳥』
		 吉川弘文館『古代を考える・近江』  など

		■氏の邪馬台国論のポイント(下の地図を参照されたし。)

		 ・倭国は、北九州から南東北までのほぼ現在の日本の大部分を占めていた。それより北は「侏儒国」である。
		 ・女王国は、山口県の本州から四国を含み、北関東までの範囲である。
		 ・女王国の外、すなわち南東北と北九州には「大率」(だいそつ)が置かれており、ここまでが倭国の範囲である。
		  南九州は「狗奴国」である。
		 ・邪馬台国は、九州説と近畿説に分かれていて決着がついていないが、近畿であるのは間違いない。水野個人としては、
		  奈良県櫻井市の天理付近だろうと考えている。
		 (今日は言及していなかったが、この水野説は学界でも批判が多く、ほとんどの学者からは相手にされないそうである。
		  いつぞやの講演会では、「なぁーに、私は結構打たれ強いですから。」などと開き直っていた。)

		■所感
		 氏は、近畿文化財界、歴史界の重鎮である。ドンと言ってもいい。若い頃に文化庁に居たので、それがPOWERの源かもし
		 れない。近畿一円の、文化・歴史・考古学に関する委員会で委員を数多く引き受け、今も厳然たる影響力を持っている。
		 氏の邪馬台国論は、私の見るところプロパガンダで、まともに唱えている説とは言い難い。「おもしろ、おかしく」とい
		 う氏一流のサービス精神で、近畿圏の歴史ファン達に媚びを売っているのだろうと思う。話上手で講演会はけっこう面白
		 く、氏の講演会では常に最前列に座るという熱心なファンもいるくらいである。しかし九州説論者から見れば、特にまじ
		 めな九州説論者ほど、氏の説は「とんでもない奴だ!」ということになる。おそらく氏は、その辺りも考えたうえで、敢
		 えて「邪馬台国近畿説」の広告塔を引き受けているのである。
		 そう思えば、氏の話は「奇想天外な」「誇大妄想」の「邪馬台国畿内説」として、「ほぉー、へぇー」と聞き流せる。





とりあえず、「水野でございます。」と切り出して、





まずは魏志倭人伝の解説とその解釈から講演は始まるのだが・・・・。




	どうしてこういう発想になるのか理解できない。なにゆえ、「大率」が南東北にあるのか。魏志倭人伝のどこにそういう事が書いて
	あるのか、などとやりだすともうキリがない。いちいち反論しても、氏のノラリクラリとした返答ではぐらかされるのは分かってい
	る。そもそも氏の説も、「南」を90度「東」へ傾けないと成立しないところから出発しているので、九州説論者としては、その立
	脚点からしておかしいのだ。自分が昔熱心に掘った、「天理遺跡」のあるところを卑弥呼の王宮とするなどは、完全に「郷土史家」
	以外のなにものでもない。氏の説は、学問的には何一つ証明されていないと言っていい。




	氏の話を聞いていると、律令国家になってからの「遣隋使」や「遣唐使」達が中国へ行った頃と「邪馬台国時代」をダブラせている
	ように思える。邪馬台国時代から、今の奈良の都が倭国全体を支配していて、卑弥呼を国家元首とする「倭国にっぽん」が中国にも
	認められていたような発言である。これでは、近畿圏の学者からも批判されるはずだ。






	まぁそれでも、今回の大テーマ「南九州の弥生文化」にふれた話もしていた。種子島の「広田遺跡」は金関館長も掘ったので、一応
	「貝の流通文化」も取り上げて、





後は、古墳時代から律令国家に至る知見を披露していた。とんでもない自説が入らなければ、まぁまぁまともな先生である。




	熱心に聞き入る我が歴史倶楽部のメンバー。久々の乾さんと松ちゃんも熱心に聞いている。メンバーから「水野かぶれ」が出現しな
	けりゃいいがなぁ。杉本さん、錦織さん、西本さんあたりは怪しいな。















	西都原古墳の話もしていた。景行天皇の頃に、大和朝廷の全国展開が加速したという意見は私も賛成だ。ヤマトタケルを筆頭と
	する、「大和朝廷開拓団」が全国に散って「にっぽん」統一の基礎を築いていったのはまず間違いない。全国に残るヤマトタケ
	ル伝説や、四道将軍伝承、仲哀天皇の筑紫行脚などは、その痕跡をとどめているのだと思う。応神天皇たちの「倭の五王」時代
	は、「王」みずからが甲冑を身にまとい、剣を振りかざして全国を駆けめぐった時代なのだろう。しかし、西都原古墳の被葬者
	が誰だったかまでは分からない。










	
	弥生文化博物館の金関館長のオヤジ、金関丈夫氏が、かって上右の「龍」の絵を見て、「馬と掛け合わせたら坂本龍馬になる。」
	と言ったという話をしてみんなを笑わせていた。








	会場は相当暑く、橋本さんは途中で部屋を出て、外のモニターで講演を聴いていた。「涼しゅうて、話もよう聞こえたし、外の
	方がよかったで。」と言っていた。まったく暑かった。おまけに、2時間の予定が45分もオーバーして、熱心に話していた水
	野氏はともかく、高齢者の多かった聴衆は、話が終わるといささかゲンナリといった表情だった。私や高野さんは、氏のあまり
	の「郷土史家」ぶりにいささかげんなりだったのだが。





	乾さんはカゼ気味で、相当苦しそうだったのにわざわざ参加してくれた。しかし反省会はパス。残りのメンバーは例によって天
	王寺の「赤のれん」で反省。ここの、泣きそうなくらいワサビの入った鉄火巻きは絶品だ。皆さんお疲れ様でした。
	また次回もよろしくお願いします。



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