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雪の琵琶湖畔をゆく 近江・堅田の町 2008.2.9 ミニ・高校同窓会





	上下は、本日の我が家のベランダから見た光景。数年ぶりの雪景色。遠く六甲の山並みも雪煙で見えない。今年はずーっと暖かかった
	かと思うと、いきなり何度かこういう雪景色にお目に掛かった。

	今日は今から滋賀県の堅田(かただ)へ向かう。この調子だと、琵琶湖も降ってるだろうなぁ。堅田は山際だからもしかしたら電車も
	ストップしてるかもしれない。実は今日は、大手衣料メーカーに勤める高校時代の友人大隈君が「琵琶湖で鴨鍋を食おうで。」と自社
	の保養所を予約してくれたのだ。同じく高校時代の友人で、これも大手の農機具メーカーに勤める岡崎君と三人で堅田へやってきた。
	他にも誘ったのだが生憎時間が合わなかった。
	保養所は琵琶湖岸にあり綺麗なところだった。電車も動いていたし、雪景色の琵琶湖が見れて、鴨鍋も旨くて大いに満足した。翌朝、
	堅田の町を三人で散策した。これはそのレポートである。










	堅田駅(かたたえき)前。「湖族の碑」という大きなモニュメントがあった。どうやらこの辺りは、「湖族」という呼称で自分たちを
	呼んでいるようだ。堅田駅は、滋賀県大津市真野1丁目1番地1−70にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)湖西線の駅。ICOCA・
	Jスルーカード利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるSuica(東日本旅客鉄道)・PiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可
	能。特急雷鳥・サンダーバードが朝晩を中心に下り(金沢方面)5本、上り(大阪方面)6本停車する。この数は大津駅や大津京駅よ
	りも多いため、大津市内で特急列車が最も多く停車する駅となっている。京都方面への同駅折り返し普通電車も設定されている(昼間
	帯毎時1本)。ここから、琵琶湖大橋を横断して守山駅方面へ向かうバスが発着する。



駅前の交番脇に「淡海節」の生みの親、志賀廼屋淡海の顕彰碑が建ててある。







大隈君の会社の、保養所の窓から見た琵琶湖。水鳥が群れていた。対岸は大津だがこの雪では全然見えない。






	会社の保養所だから、当然大隈君の知り合いが数組来ていて、彼は「やぁ、どうもどうも」とか「おう、久しぶり」とアチコチ挨拶し
	ていた。岡崎君は早々と酔っぱらって、鍋を食って部屋へ戻ったらバタンQ−。彼を寝かせて、大隈君としばし談笑。

	翌朝、駅前で貰った地図、観光案内を手に、堅田の町散策に繰り出す。





浮御堂





	うきみどう(まんげつじ)  
	<浮御堂(満月寺)>

	大津市北部の堅田の湖中に浮かぶ御堂は約千年前に開かれたといわれる寺で、大津の代表的な景勝地である。近江八景『堅田の落雁』
	で名高く、老松に調和して建つ浮御堂の姿は、実に風雅そのものである。浮御堂は、寺名を海門山満月寺という。平安時代、恵心僧
	都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したという。現在の建物は昭和12年の再建によるもので、昭和57年にも修理が行われ、昔
	の情緒をそのまま残している。境内の観音堂には、重要文化財である聖観音座像が安置されている。





この楼門は唐門やね。何でやろ。禅宗やからかねやっぱり。




	湖上より平安の昔に想いを馳せ、湖上の安全を祈ったのか。大津市北部、JR堅田駅の南東約1.5kmのところにある。湖上に浮か
	ぶ御堂は、大津に数ある景勝地の中でも特にすばらしいものの一つであり、古くから絵画や詩歌にたくさん描かれている。近江八景の
	「堅田の落雁(らくがん)」では、雁が列をなして冬の空を渡っていく姿を背景に、浮御堂が美しく描かれ、多くの人々に深く愛され
	た。





少し暗いが、上左は岡崎君。琵琶湖を挟んでこことは反対側の大津に住んでいる。



浮御堂から見た満月寺(上)と、琵琶湖大橋(下)。






	寺院名は臨済宗大徳寺派満月寺(まんげつじ)といい、寺伝によれば、平安時代に恵心僧都源信が湖上安全と衆生済度のために、建立
	したとされている。源信は、千体もの阿弥陀如来像を安置して、ひたすら行に務め、毎日のように水想観(すいそうかん)を行ったと
	いう。水想観というのは、紅白の蓮華が乱れ咲くといわれる西方浄土の池に思いをこらすもので、源信が浮御堂でこの行を始めると、
	部屋の中いっぱいに水が湧き出て、それこそ浄土の池にいるような心境になったといわれている。







「鎖(じょう)あけて 月さしいれよ 浮御堂」 芭蕉




	現在の建物は室戸台風による倒壊の後、昭和12年(1937)の再建によるもので、昭和57年(1982)石垣までの湖底を掘り下げるな
	ど修繕が行われ、老松に調和して静かに立つ姿は、昔の情緒をそのまま残している。近くの観音堂には、重要文化財である聖観音坐像
	が安置されている。
	




「五月雨の 雨垂ばかり 浮御堂」 青畝







伊豆神社



	平安時代中頃の創建、祭神は大山祗命。室町時代、堅田大宮ともいわれ、湖上水運に特権をもっていた堅田全域の総鎮守として信仰を
	集めていた。由緒に寛平年間(878〜897)比叡山法性坊阿闇梨が諸国修行の折、伊豆三島にて籠に乗っていたところ、伊豆権現が乗り
	移り、同地に御座する旨の神託を請け社を建てたという。後、比叡山に帰り堅田を訪れた法性坊は、辺りの風景が三島の地に似ている
	ところから、祭神を勧請し同社を創建したという。祭神大山須祇命は「和多志(渡し)」の神である。
   














光徳寺





	<光徳寺(こうとくじ)>

 	蓮如上人の法難に対して、自ら首を打たせて出させた堅田源兵衛ゆかりの寺。その首と墓所がある。詳細は以下の解説を読んで頂きた
	いが、それにしても「首を拝観希望の方は申し出てください。」とあったが、まさかほんとの首じゃなかろうね。少々気味悪くて、3
	人とも首を見るのは遠慮した。








	しかし信仰の力は恐るべきモノですな。特攻隊も、中東の自爆テロも、いわば一種の信仰だもんね。無宗教の現代日本人には考えられ
	んね。こんな話はここへ来るまで聴いたことも無かった、と3人でひとしきり。





室井其角邸跡























ここが堅田港。周航船もコースによってはここに立ち寄る。廻りには「琵琶湖周航の碑」や文学碑が幾つか建っている。








	<居初邸・天然図画亭>

	中世の時代、堅田の指導的立場にあった殿原衆の党首邸。下鴨神社供御人の系譜を引く。邸内にある「天然図画亭」と名付けられた庭園
	は、天和元年(1681)頃に千利休の孫・千宗旦の高弟であった茶人藤村庸軒と堅田の郷士北村幽安(幽安焼き・幽安菊などの考案者)が
	築いた。敷石を主軸に大刈り込みを配し、湖と湖東の風景を借景とした名庭である。





内湖に架かる橋を渡れば、堅田駅まで一直線。内湖には人工真珠の養殖場があったが、ちょっと寂れているような。





大隈君、岡崎君、お疲れ様。久々の琵琶湖が雪景色で良かったなぁ。また飲もうや。



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