鹿苑寺(金閣寺)大書院障壁画



	若冲の着色画の最高傑作が「動植綵絵」なら、水墨画の最高傑作は重要文化財「鹿苑寺大書院障壁画」全五十面だと言える。鹿苑寺
	(金閣寺)の大書院の五部屋を飾っていたこの作品は宝暦九年(1759)、若冲が四十四歳の時に描き上げたものである。本展覧会に
	は、鹿苑寺大書院一之間と三之間の床の間を飾っていた「葡萄小禽図」「月夜芭蕉図」の床の間が、寸大で再現されており、臨場感
	あふれる展示になっている。また、他の作品も一括して並列展示されている。









	壁、床、違棚に描かれた「葡萄小菌図」。垂れ下がる葡萄の房やところどころ穴があいた葉の感じがうまく捉えられている。また、
	細い枝が変則的に折れ曲がったり、蔦の先がらせん状になる様子が妙にリアルである。華麗な色遣いの「動植綵絵」と対比すると、
	この書院の葡萄画は、これぞ日本の花鳥画といった感じである。













	金閣寺方丈北側に建つ大書院の障壁画は、もともとは伊藤若冲の作品が飾っていた。「月夜の芭蕉図」「葡萄図」「鶏図」「松に鶴
	図」など、独創的な障壁画が200年以上にわたって大書院を飾っていたのである。しかし、国の重要文化財に指定されている貴重
	な障壁画を北山特有の湿気による傷みから守るため、昭和59年(1984)金閣寺の本山である相国寺の承天閣美術館に移された。

	若冲の障壁画が承天閣美術館へ移された後の大書院のふすまは真っ白だった。このふすまに若冲の障壁画を複製することや、模写を
	するなどの手法が検討された。しかし複製にはかなりの費用が必要、模写はとても若冲の筆致を模することはできないとのことで、
	この複製、模写案はいずれも断念された。そこで現代日本画家の重鎮・加藤東一画伯に「新たな水墨画を描いて欲しい」と依頼した。
	「若冲の絵に代わるものはとても…」と初めは躊躇していた加藤画伯も、ようやく決断してこの大仕事に挑んだ。加藤画伯はここに
	「表面的な表現でなく、その奥にある永遠のいのちを描きたい」と制作に取り組んだという。加藤画伯の故郷・岐阜の「淡墨(うす
	ずみ)桜図」をはじめ「大杉図」「日輪」「月輪図」「鵜之図」「臥竜梅図」「千鳥図」「若竹図」など、動植物や大宇宙に永遠の
	生命を描いた力作が平成5年(1993)に完成した。加藤画伯の年来のテーマであった古木の淡墨桜を目にした人は「思わず息を
	飲む」と言うほどの大作で、この絵に吹き込まれた「いのち」を感じるそうだ。

	相国寺承天閣美術館に金閣寺大書院から移された若冲の障壁画のうち「月夜の芭蕉図」と「葡萄図」は常時公開されており鑑賞でき
	る。ほかの作品は特別展の時などに公開されるのを待つ以外に鑑賞することはできない。なお金閣寺方大書院の壁画は、普段は公開
	されておらず、その存在はあまり知られていない。






邪馬台国大研究 / 歴史倶楽部ANNEX / 寺社仏閣/ 若沖展