「蛸薬師如来縁起」

	御深草天皇御世の建長年間(1249年ー1256年)に善光という僧が当寺に住んでいました。あるとき、母が病気になったので
	お寺に迎えて看病しました。
	弱った母が「子供の頃から好きだった蛸を食べると病気が良くなるかもしれない。」といいました。善光は僧侶の身ですから蛸を買
	うことが出来ないので悩みに悩みました。しかし病弱の母のことを思うあまり箱を抱えて市場に出掛けて蛸を買ってしまいました。
	これを見た人々は僧侶が戒めに背いて生魚を買ったことに不審を抱いて善光のあとをつけました。
	寺の門前まで来た時に箱の中を見せるようにと善光を責めました。善光は断ることが出来ず、「この蛸は母の病気が良くなることを
	思って買ったものです。薬師如来様、この難をなにとぞお助けください。」と一心に祈って箱を開けました。すると蛸の八本の足が
	八巻の経軸に変わりました。経巻は霊光を四方に照らしたので人々は皆手を合わせて「南無薬師瑠璃光如来」と称えました。
	すると経巻が蛸になって飛び跳ねて御池(現在の御池通りの御池)に入って薬師如来のお姿になりました。そして瑠璃光を放ち善光
	の母を照らしました。善光の母の病気はたちどころに回復し「南無瑠璃光如来。南無瑠璃光如来。南無瑠璃光如来。」と連称しまし
	た。このときからこの薬師如来が蛸薬師あるいは水上薬師といわれるようになったそうです。

	若沖の生まれた錦小路を少し行くと、京極通りの端に「永福寺」(浄土宗西山深草派蛸薬師堂:京都市中京区新京極通蛸薬師下る東
	側町503)がある。「蛸薬師如来縁起」はここに伝わる。若沖は当然この話は知っていたはずで、このエピソードに親の供養の念
	を込めたのではないか、と言われる。親蛸の足の先に子蛸がからみついているのがユーモラスでおかしい。若沖はおそらく、錦小路
	市場の魚屋に並んでいた魚を観察して絵を描いたのだろうと言われる。つまり海にいる魚ではなく、魚屋に並んでいるものを描いた
	のだが、それは他の絵で、本来は付いているエラやヒレの部分を、店先に並べるため魚屋が切り落としてしまった後を描いている事
	でほぼ確認されている。

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