伝張思恭筆「釈迦三尊像」は、若沖が見たときには既に相当年数を経て不明瞭な部分や剥落した部分もあって、若沖はだいぶ独自の個性
	をここに表現したのではないかと思われる。私は仏画にはあまり興味が無く、どちらかといえば仏像の方に心惹かれるのだが、この絵の
	持つ色彩には興味がわく。この展覧会以前に「釈迦三尊像」三幅と「動植綵絵」三十幅は修復が施されているが、それにしても百年を経
	たとは思えないような彩りに感心してしまう。我々はこんにち、京都や奈良の寺社仏閣でくすんだ薄暗いお堂の中で仏像や仏画を見るの
	で、仏様とはなんと地味に表現されているものかと思ってきたが、製作直後はみなこのような鮮やかな色彩を持っていたのである。金色
	に輝いていた仏像も、数百年、千年という年月の中でその色彩を失ってしまっているのだ。

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