鶏を庭に放し飼いにして(鶏とは「庭鳥」が語源)、延々と観察し続けた若沖の「鶏・集大成」のような絵である。鮮やかな色彩
	を使い、十二羽もの鶏を一幅の絵の中に収めたこの絵は、鶏というありふれた家禽をまるで鳳凰のような主題に昇華させている。
	この絵画表現は、単に異端や奇想という言葉で若沖にレッテルを張り、画壇の一潮流として一くくりに出来るような性質のもので
	はない。伝統的な手法や当時最高の画材を用いて自己を表現し、若沖の絵にはこの時代における先端の思潮が現れており、若冲た
	ちこそが画壇の主流であったとも見なすことができる。 
	家業を弟に譲り隠居した後の若沖は、自分のアトリエを「独楽窩(どくらくか)」と呼び絵画三昧の日々を送った。酒も飲まず、
	他に何の趣味もなかった若沖は、仏教徒としてのつとめと、絵を描くことだけに生涯を費やした。また妻帯もしていない。私の知
	り合いの福岡の洋画家「青沼茜雲」氏も、「家庭を持つと絵を描く労力が半減するから。」と、既に中学生の時に「一生独身」を
	決意したと言われていたが、こういう考えにはただただ感服してしまう。

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