この絵もデザイン的だ。下部には、たわわに実る粟の穂に群がって遊び惚けている雀の一群があり、上部にはそこを目指してやって くる大群を描く。しかし通常雀は、鶴や雁でもあるまいし、編隊を組んでこういう形で飛行するような事はないと思う。この飛び方 はもっと大きな、気流に乗ってあまり羽を動かさずに飛行できる大型の禽類の飛び方で、雀はせわしなく羽を動かして飛ぶものだ。 おまけに一羽白い雀も混じっている。この、一個体だけ違ったものを混ぜるというやり方は、前頁の「蓮池遊漁図」でも、並んで泳 ぐ鮎の中に山女魚を一匹混ぜている点にも共通している。若冲には「多数の中の異」という自意識があり、それがこの絵や、「薔薇 小禽図」の一輪だけ奥を向く白薔薇や、「群鶏図」の一羽だけ正面を向く鶏などにも描かれているが、果たして若沖の「遊び心」な のか、それともその「異」に自己を投影するような、深い意図でもあったのだろうか。いずれにしてもこの絵は、雀が機械的に並ん だ、いわば「整理された」空間である画面上部と、無秩序な下部とが対照的な一幅である。