この絵も右上部片隅に日輪が小さく見え、白い鶏はこれに向かってはばたいているようだ。「日輪=大日如来=宇宙の真理」である事
	を考えれば、若沖が幾度もその絵の中に日輪を描くことの意味も分かる。敬虔な仏教徒であった若沖にとって、宇宙の中心であり、宇
	宙の真理そのものであると考えられている大日如来=日輪は、全ての存在の「源」なのである。他の如来や菩薩、明王など全ての仏は
	大日如来の化身とされている仏教界では、仏教徒としても修行していた若沖にとって、日輪は真理の象徴だったのだ。
	動植綵絵(どうしょくさいえ)に描かれている植物の中では松が一番多い。松は冬でも葉が落ちたりせず、一年中同じ形を保っている
	ので、いわば不変のシンボルとして描かれ、若沖も好んで描いているが、それはかって相国寺が松林の中にあったことと無関係ではな
	かろう。今でも境内には松が多い。
	この構図の鶏や白凰の絵は、若沖はずいぶん昔から描いていたようである。今日残っている作品の中にも同じ構図を持った絵は多い。
	つまり若沖は、それまでの技法・感性の全ての集大成として、動植綵絵を描いたことがわかる。若沖にとって、動植綵絵はそれほどの
	意味を持っていたのだ。

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