ほんの2週間ほど前にオープンした博物館である。事前の案内やパンフでは「全く新しい博物館」とか「体験型博物館」とか あったので、相当期待して来たのだが、他の博物館とさほど変わらずちょっとがっかりした。おまけに、近畿圏の考古学者の 主張や、学界ではまだ定説にもなっていない意見がさも既成事実のように堂々と主張してあったので、博物館としての姿勢に も疑問を持った。 考古博物館は「播磨大中古代の村」(大中遺跡)に隣接して整備された。大中遺跡は昭和37年(1962)年、地元の中学生に よって発見され、発掘調査の結果、さまざまな住居跡や生活に使った道具などが発見された。昭和42年(1967)年には、国 の史跡に指定され、昭和49年(1974)に史跡公園「播磨大中古代の村」として開園している。 所在地 : 兵庫県加古郡播磨町大中500(播磨大中古代の村隣接地) アクセス: 神戸、三ノ宮からJR山陽本線で約40分。土山駅で電車をおり、高床建物をイメージした時計台のある南口に出て、 「であいの道」を西へ徒歩15分。
今高校では、史学部に入部する若者がいず、廃部になる高校が増えているそうだが、子供達が歴史に興味を示さなければやがて 考古学は廃れてしまう。小学生や中学生が歴史に興味を示さなければ、考古学も発展はない。この博物館はそういう危機感から 生まれたのかもしれない。世の中がゲーム機やバブルに浮かれて、教育など顧みなかったツケを我々はいつか払わされるのかも しれない。
この解説はおかしい。九州説論者でなくとも、こんな表現をしていいのだろうかと疑問に思うに違いない。「邪馬台国は奈良に あった」と断言している。個人の博物館ならいざ知らず、県民の税金を使って造った博物館がこのような偏った主張に与しては いけない。決着が付いていない論議については「・・という説もある。」とはっきり幾つかの説を掲載すべきである。これを見 た子供達がもし将来考古学者になるとしたら、今の近畿圏の考古学者達同様に、「近畿圏」から発想を一歩も発展・転換できな い、単なる「郷土史家」で終わってしまう。或いはそれが目的なのだろうか。何のためにこの博物館を建てたのだろう。
こういう表現をチェックする機能はこの博物館には無いのだろうか。館長以下、博物館全体がこういう主張で固まっているのだ としたら、これはちょっと怖い。「学問」の公平・公正さが理解できていない、形を変えたプロパガンダである。