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歴史倶楽部 123回例会
浜名湖・舘山寺温泉
2007年6月30日(土)・7月1日(日)







	名古屋では「名古屋市立博物館」も見学する予定だったのだが、浜名湖へ来る時間が遅くなりそうだったので、泣く泣く割愛し
	た。浜松駅からバスに乗って舘山寺温泉へ。40分もかかった。着いたらちょうど暮れなずむ時間で、屋上の露天風呂から暮れ
	ていく浜名湖が見えて正解だった。アマチュアの「行き当たりばったり」例会は、こういう風に予定をはしょったり出来るとこ
	ろが利点ではあるが、同時にまたそれは欠点でもあろう。






	舘山寺温泉は、うなぎの養殖で有名な汽水湖・浜名湖の東岸にある庄内半島の付根に位置する温泉で、19軒(宿泊定員4,200名)
	の旅館が営業している。その内半数以上の11軒が浜名湖を眺めながら入浴できる展望露天風呂自慢の宿である。豊かな水産物と
	温暖な気候に恵まれ、昭和33年の開湯と比較的歴史の浅い温泉地だが、浜名湖を望みながらの湯情は格別である。
	舘山寺温泉はその名の通り、浜名湖に三方を囲まれた小さな山にある「曹洞宗舘山寺」に由来する。舘山寺は平安年間(810年)、
	真言宗として弘法大師により開かれたが、明治3年に廃仏毀釈により閉ざされた。明治23年曹洞宗として再興され現在に至って
	いる。舘山寺周辺には「愛宕神社」「大観音」「穴大師」などの見所があふれ、浜名湖を望むビューポイントも点在し、四季折々
	の趣きが楽しめる。


今夜の宿「芳泉閣」。立ち並ぶ旅館街からは離れて、奧浜名湖の入り口に建つ数軒の旅館の中の1軒。












	旅の楽しみの一つは当然温泉であるが、こういう野趣溢れた露天風呂は実に楽しい。雨や雪の中の露天風呂などにも行ったが、夕
	陽や朝日が見れたり、風光明媚な光景を見ながらの湯浴みも最高だ。



上中央やや左の切れ目から、本浜名湖へ出て行くようになっている。








	旅に出て、その土地土地での美味い物を食するというのは実に楽しいものである。今回は浜名湖の鰻が目玉だったが、標準で半匹
	という事だったので、1匹づつ追加しようかと思っていたが、半匹でも十分すぎるくらいの分量だった。勿論輸入物なんかでは無
	く、純粋な浜名湖産の鰻でうまかった。窓からは奧浜名湖(浜名湖の北東に位置し、浜名湖からは入り組んで独立した入江になっ
	ている。)が見えて、結構な宿だった。



朝起きて、朝食までの間付近を散歩する。せっかく来たのだからと、朝食後は浜名湖遊覧船に乗ることにした。










	<浜名湖>  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

	所在地 静岡県 
	面積 65.0 km2 
	周囲長 114 km 
	最大水深 16.6 m 
	平均水深 4.8 m 
	貯水量 0.35 km3 
	水面の標高 0 m 
	成因 海跡湖 
	淡水・汽水 汽水 
	湖沼型 中栄養湖 
	透明度 1.3 m 
	浜名湖(はまなこ)は、静岡県浜松市、湖西市、浜名郡新居町にまたがる湖。

	静岡県西部に位置しており、南部は海(遠州灘)に通じている。このため、一部では「浜名湾」とも呼ばれる。湖の面積としては
	日本で10番目の大きさ。形は複雑で、細江湖、猪鼻湖、松見ヶ浦、庄内湖と4つの枝湾(水域)を持ち、これらの面積は湖全体の
	面積の4割に達する。 このため、湖の周囲長は日本では3番目の長さとなる。
	近くに存在する佐鳴湖とは、1つの川(新川)を通して繋がっている。なお、河川法上は、浜名湖は都田川水系に属し、浜名湖に
	注ぐ全ての河川も、水系では都田川水系として扱われる。




	ウナギ、ノリ、牡蠣、スッポンなどの養殖が盛ん。特に養殖ウナギは有名で、鰻飯、ウナギボーン、うなぎパイなどの特産品があ
	る。浜名湖独特の伝統的な漁法であるたきや漁(獲物を光で誘引し、モリで突いて採取する漁法)も有名で、これによってスズキ
	やキス、カレイなどが採取されている。その他、潮干狩りのポイントとしても一般に広く利用され、主としてアサリが採取される。
	また、浜名湖周辺はリゾート地として開発されている個所も多く、ボートやヨットなどのマリンスポーツも盛んに行われている。
	浜名湖県立自然公園にも指定されている。


奧が「本」浜名湖である。右手奥の方に、名神高速の陸橋があり、左手だいぶ行ったところの海側を新幹線が走っている。

	一般的に、かつては「とおつあふみ」と呼ばれており、遠江の語源となったとも言われる。ただし、国府のある磐田湖(大之浦)
	を指すとする説もある。この時代は、(琵琶湖より)遠い淡海つまり淡水湖として認識されていた。浜名湖は海に近い湖であった
	が、湖面の方が海面より高く、浜名湖より流れ出る川を海水が逆流するようなことは無かった。
	しかし、明応7年(1498年)に起きた大地震に伴う地盤沈下により湖面が下がり海水が流入しやすくなり、その後の度重なる暴風
	雨による土砂災害のために浜名湖から流れ出ていた川が埋まり、浜名湖に水が溜まるようになった。その結果、浜名湖と海を隔て
	ていた地面の弱い部分が決壊し現在のような汽水湖となった。この時、決壊した場所は今切(いまぎれ)と呼ばれ、渡し船で往来
	するようになった。今切は文字通り「今切れた」という意味である。この今切の渡し(いまぎれのわたし)は東西交通の難所とし
	て広く知られたが、鉄橋や道路なども通り安全に往来できるようになっている。




	上左に浜名湖レジャーランドが見えていて、その下辺りが舘山寺温泉の中心街。奧浜名湖を横切る「舘山寺ロープウェイ」もこの
	遊園地の辺りから出発している。観光船はロープウェイの下を浜名湖へ向かう。観光船の操舵手は、なんとうら若き乙女だった。
	下船時にカメラを向けるとにっこりほほえんでくれたが、船室のガラスが反射してうまく撮れてなかった。残念、可愛かったのに
	なぁ。



上中央の建物が我々の宿泊した「芳泉閣」。華やかな温泉街からは独立して建っている。





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