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歴史倶楽部 第122回例会
高島歴史民俗資料館
住 所 : 滋賀県高島市鴨2239 電話番号 0740-36-1553
概 要 : 町内で発掘された、縄文から江戸時代にかけての考古資料を中心に展示する資料館。鴨遺跡からの出土品や滋賀県に
陣屋を持っていた外様小藩の大溝藩の関係史料を中心に、町内の文化協会民具クラブが集めた民具を見ることができる。
開館時間: 9:00〜16:30 ※土曜は11:30まで開館
休 館日: 月曜、祝日、年末年始
料 金 : 無料
駐車場 : 8台(無料)
アクセス: [ 電車 ]JR湖西線近江高島駅より車で5分、安曇川駅より徒歩20分
[ 車 ]湖西自動車道比良出ICより北へ20分
華麗な副葬品が出土したことで知られる、鴨稲荷山古墳(写真右)の南150mのところに、高島地域の歴史・民俗・考古資料を収
めた当館がある。昭和51年(1976)に高島町文化協会民具クラブが発足し、高島町(当時)内の民具収集活動が活発に展開してき
たことや、町内からの貴重な埋蔵文化財が多量に出土したことによって、これらを収集・保存・展示する目的で昭和56年秋に当館
が開館した。鴨稲荷山古墳と、古代の郡役所跡と推定される鴨遺跡の中間地点に立つ資料館。鴨遺跡からの出土品をはじめ、古代か
ら現代に至る地元の歴史や民俗資料を一堂に集めている。鴨稲荷山古墳のほかにも多くの古墳や遺跡が存在し、出土品も多く所蔵し
ているが、しかし残念なことに鴨稲荷山古墳の出土遺物は現在、東京国立博物館と京都大学総合博物館の2館に収奪されている。
館内では、大溝(おおみぞ)藩に統治され、湖西唯一の城下町として栄えた高島町の歴史を記す文書も見学できる。また北方の開拓
・蝦夷地探検で有名な「近藤重蔵」の資料もある。
今は田んぼの中の出っ張りのような丘が、もともとはこいう古墳だったのである。
あきれるほどの豪華さで、これだけの副葬品を持った被葬者は、我が国にはそうそういない。
上左が、鴨稲荷山古墳出土の垂飾付耳飾(レプリカ)である。これは、中間飾にガラス玉を使っているあたりが特徴的で、韓国の
武寧王陵の耳飾に対比されている。みれば見るほどそっくりだし、和歌山の大谷古墳、福岡の岩戸山古墳からも同様のものが出土
している。いずれも渡来人の墓と目されている古墳である。
上右を見ると、靴底にも「揺」(よう:ユラユラ揺れる飾り)がついているので、これは履くことの出来ない、完璧な装飾品であ
る。つまり、死者に履かせる為にだけ作られたものなのだろう。下の図を見ても、相当飾られた被葬者だったことが分かるし、死
して尚これだけ飾られると言うことは、少なくともこの地方の「王」だったことは確かである。
この時点でもう、全長60mの前方後円墳などという形状はまったく窺うことが出来ない(上)。この古墳は未盗掘だったそうだ
が(そのために豪華な副葬品が残っていた。)、石室などはどうなっていたのだろうか。付近の住民は古墳を切り崩し、石室の石
を持ち出して、石棺はそのままにしていたのだろうか。発見時の事情がいまいちよくわからない。
この取っ手付コーヒーカップのような土器は、私の故郷、福岡県「朝倉市の池の上6号憤」、大阪泉北の「陶恵器の里」でも発見
されている。誰も書いていないが、須恵器でこれが出たら、私はそこは渡来人の里と断定してもいいと思うのだが。しかし弥生土
器にもこの形の土器はあるしなぁ。
二階には民俗資料と、大溝藩時代の資料が並んでいる。(考古資料もある。)
択捉(エトロフ:上では恵登呂府)など北方を探検開拓した偉人も、晩年は長男の罪に連座して幽閉である。
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