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巣山古墳

−馬見古墳群− 2005.11.13(日)奈良県北葛城郡広陵町






公園内の舗道から遠くに見えていた交差点をズームしてみた。「巣山古墳前」とある。




	すやま
	巣山古墳 (特別史跡 : 昭和27年(1952)年3月29日指定。)
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	■所在地 : 北葛城郡広陵町大字三吉小字巣山
	■規模  : 墳丘全長約220m、後円部直径約130m、高さ約19m、前方部幅約112m、高さ約16.5m
	■築造時期: 中期(4−5世紀始め) 

	馬見丘陵の中央部に位置する北向きの大型前方後円墳で、馬見古墳群の中心的な古墳である。丘陵の東端に、尾根を
	利用して北北東向きに作られ、墳丘全長約220mの規模があり、左右のくびれ部に造り出しを設けている。大王の
	墓域が、佐紀から河内へ移動する時期に築かれたと考えられ、その時期は4世紀終わりから5世紀にかけてではない
	かと考えられる。馬見古墳群の中では最大級の古墳で、現在周濠は農業用溜池として利用されている。墳丘は3段築
	製で、葺石や円筒埴輪列が巡らされ、後円部頂上と前方部に竪穴式石室の石材と見られる板石が散乱していた。外提
	の西と南側に、外提と同じ幅の周提帯があり、その外側に円筒埴輪列があったことが確認されている。




	2003年10月4日付けの新聞は、広陵町の教育委員会が、「馬見古墳群にある特別史跡・巣山古墳の周濠から、
	島状遺構や形象埴輪が見つかった。」と発表した記事を報じている。2002年11月、周濠に溜まったヘドロをさ
	らえる工事中に、偶然これらの遺構が発見されたのだ。広陵町は「島状遺構」としているが、橿原考古学研究所付属
	博物館長(当時)の河上邦彦氏は、「島ならほかにもあるからこの表現では不適切で、「島状張り出し遺構」と呼ぶ
	のが妥当、と言う。前方部の西側の島状遺構からは、頂上部平坦面から水鳥・蓋(きぬがさ)・盾・家・囲・柵形埴
	輪等々が出土している。墳丘から周濠へ張り出した島状遺構は、高さ約1.5m程あり、南北約16m、東西約12
	mという大きなものである。




	遺構は二段築造になっている。墳丘ほぼ中央部から5mの渡り土手で周濠に向かってせり出していた。今はもう土砂
	で覆われ見学することはできないが、規模は基底で南北16m、東西12m、上部は南北12m、東西7m、高さ
	1.5mで、葺き石を施していた。方形の島の西側は州浜状に長さ8m、幅2.6mの石敷きがあり、その南北にそ
	れぞれ長さ3〜4m、幅3mの石積みされた突出部がある。また、州浜状石敷きの西側に、径3〜4mの連続する円
	形の石積みが築かれていて、「ひょうたん島」(下)と新聞に書かれた。
	専門家の間では、これらの古墳群の主な被葬者は、古代豪族の葛城氏の先祖と考えられているようだが、もちろん確
	証があるわけではない。しかし周濠、外提を含めると200mを超す規模から、被葬者は大王に次ぐ有力豪族の首長
	クラスだっただろうと思われる。




	島の上には、配列されていたと考えられる形象埴輪が30数点出土した。傘部が四方に張り出す蓋(きぬがさ)形と
	切妻、入母屋、高床の家形が各7点、盾形と水鳥形が各3点、囲形4点、柵形10点以上で、うち3羽の水鳥(下左)
	は、親子なのか大きさが異なる。



濠に浮かぶ水鳥や囲い形埴輪








	埋葬部は、後円部中央に竪六式石室が2基、前方部にも石室が1基造られ、勾玉、管玉、棗玉(なつめだま)等の玉
	類と鍬形石(くわがたいし)、車輪石(しゃりんせき)、石釧(いしくしろ)等の石製品、滑石製の刀子(とうす)、
	斧等々が出土している。中でも滑石製の勾玉は長さが10cm近くあり、頭部に鋸歯文や櫛歯文を刻んだ珍しいもの
	である。鍬形石も大きいものは長さ21.7cm、車輪石は長径14.2cmもあった。これらは明治時代に盗掘さ
	れたと思われる石室から見つかっているが、記録では、鏡、銅釧、冠などもあったようである。遺物の大部分は、現
	在宮内庁が所管している。(滑石製の斧頭や一部の遺物は広陵町が保管。)




	丘陵の馬見古墳群全体は、4世紀後半から5世紀後半にかけて約100年間続いて築造されたと考えられており、5
	世紀始めに最盛期を迎え、巣山古墳はこの時期に築造されたようだ。ここを、古墳時代中期初頭の葛城の王墓と考え
	る説があり、やがて葛城山麓へ移っていった葛城氏の祖先たちがこれら古墳を築いたという。
	また巣山古墳は、大阪府藤井寺市の津堂城山古墳とほぼ同時期の築造と考えられ、周濠内に島状遺構を設け、水鳥形
	埴輪を配置している点は非常によく似ている。被葬者を考える上で、これらは極めて重要な資料であるように思える。




	現在、全国で墳丘の規模が200mを超す大型の前方後円墳は、その大半が宮内庁の天皇陵や陵墓参考地に指定され
	ており、発掘調査はまったく実施できない状況にある。その中にあって、大阪府高槻市の今城塚古墳やこの巣山古墳
	のように、調査され大王墓のようすが判明した意義は大きい。宮内庁が文句をいってくる前に、こういう古墳はどん
	どん掘ってしまえばいいのである。




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