Music: Magical mystery Tour

2005.10.10 丹後半島をゆく


	伊根の舟屋 
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	丹後半島で最も東に位置する伊根町は、複雑な海岸線と深い伊根湾が特徴の港町である。町のほとんどは切り立った崖と山
	から構成されるため、居住可能面積が少なく、小さな住宅が密集している。東部から北部は日本海・若狭湾に面している。
	町の面積の80%は山林で、海岸に面する一部を除けば文字通り山林地帯である。多雨・多湿と山陰地方特有の裏日本型気
	候の特色を示し、四季を通じて雨量が多く、秋季より冬季は「うらにし(北西風)」によって快晴の日が少なく、冬には積
	雪がある。昭和29年11月3日に伊根、朝妻、本庄、筒川の四ヶ村が合併し伊根町が誕生した。
	海岸には、伊根、新井、泊、浦嶋、本庄(蒲入)の5つの漁港があり、それぞれに漁業協同組合が組織され、好漁場にも恵
	まれた沿岸は漁業活動が盛んに営まれている。



 
	伊根は、垂仁天皇の時代に「伊禰の浦」と言われ、古文書「順国誌」にも「伊禰の浦より貢を奉る」と伝えられている。舟
	屋は、舟を格納する建物であり、漁業に舟が使用されると同時に建てられたものと伝えられる。古くは舟小屋に風を入れる
	為板壁も作らず、藁や古綱を吊るした藁葺平屋建てのものであったが、江戸中期に入って半二階となり、明治中期に瓦葺の
	ものが多くなった。更に昭和初期には大部分が二階となり、何時でも舟が出せるように若者が寝泊りし、青年同士の交流を
	する場となり、これを「若衆宿」と呼ばれた舟屋もあった。
	元禄2年、貝原益軒が書いたといわれる「丹後与謝海図誌」によると、「伊禰の浦・・・名也、伊根は惣名にして凡、日出
	より亀島村まで入海の裏向なり、晴岸の勝景なり。丹後鰤というのは此処にてとる。鯨などもとる也。」と記されており、
	徳川中期の頃までは、イルカ、鮪、鰹等を盛んに捕っていた。従って、漁船の数も多く、享保2年の「諸色差出帖」によれ
	ば、漁船数亀島村240隻、平田村41隻と記されており、いずれも「ともぶと」といわれる軽舟で漁業が営まれていた。

 

 
	現在の舟屋は、往時の面影はなく、舟の格納のみにとどまらず、構造空間を巧に利用し、一階は舟揚場、物置、作業場をも
	ち、出漁準備、漁具の手入、魚干物の乾場、農産物の置場等多種多様に使用され、便所、浴場等も作られている。母屋は山
	側に建てられ、生活の拠点であるが、舟屋の二階は、二次的な生活の場としての居室となり、若人、若夫婦、又は老夫婦の
	部屋、客室、民宿等に活用され、一夜を過ごす旅人は、枕辺を打つ波の音にえもいわれぬ風情を味わう事ができる。



 
	舟屋は、古くから漁業を生業とするこの土地で大切な舟の格納庫として生まれ、発展した。漁から戻った舟を直接収納する
	ため、海岸ギリギリに家が建ち並ぶ様は、満潮時ともなれば、まるで水面に浮かんでいるような独自の情景を創り出してい
	る。このような景観は全国的にも珍しく、波の荒い日本海では他に見ることのできない詩情を漂わせている。
	最近では、二階を民宿利用するような家も増え、観光客が舟屋で静かな一夜を過ごすこともできるようになった。現在は約
	230軒が立ち並ぶ。伊根町役場裏の桟橋から、間近に佇まいを眺めることが出来る。映画「男はつらいよ 寅次郎あじさ
	いの恋」の舞台となり一躍有名になった。最近では、NHKドラマ「ええにょぼ」でも舞台となった。




	現在、丹後海陸交通による「伊根湾遊覧船」も運行されている。約30分の周遊で、 舟屋を沖から一望できる。1月、2
	月を除く毎日運行されている。また伊根湾は絶好の釣りスポットとしてもしられ、釣り人の間では有名らしい。その理由は
	水深の深さである。防波堤の先からタナを計っても、水深10m前後あるところだらけなのだ。防波堤も多く、防波堤の先
	から湾内に向かって投げ釣りをすれば、真鯛も釣れる。道から投げても大きな黒鯛(チヌ)が釣れることもあるので、特に
	京阪神の釣り人には、夜釣りスポットとして有名だそうだ。




	「水の江里浦嶋公園」(上右)
	浦嶋神社のすぐ側にあり、浦嶋伝説を建物やモニュメントなどで表現した公園。ドーナツ型をした公園内には、伊根町に伝
	わる浦嶋伝説を映像・光・ジオラマビジョンによって紹介する「うらしまシアター」や地元産筒川そばを味わえるお食事処
	の他にお土産店もある。



伊根の町を抜けて天橋立へやってきて昼食をとる。左のすみに見えているのが天橋立である。




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