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渋沢資料館

2006年9月 東京都北区王子飛鳥山













	<渋沢史料館> 東京都北区西ヶ原2-16-1 電話 03-3910-0305

	JR京浜東北線王子駅南口下車、営団地下鉄南北線王子駅下車、都電荒川線王子/飛鳥山停留所下車。飛鳥山
	公園の旧渋沢邸内にある。日本の近代経済社会の基礎を築き、生涯「道徳経済合一説」を唱え、実業界のみな
	らず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一の全生涯にわたる資料を収蔵・展
	示する。平成10年増設開館した。




	<渋沢栄一>
	渋沢栄一は、天保11年(1840)2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれた。一橋慶喜に仕え、
	のちに慶喜が15代将軍職になると幕臣となっている。その後慶喜の弟・昭武に随行してパリ万国博覧会へ赴
	き、ヨーロッパ各地を見聞、新しい世界に目を開いた。明治維新後は大蔵省に仕えたが、自ら経済活動に携わ
	り国を豊かにしようと大蔵省を去り、第一国立銀行の総監役となった。「道徳経済合一説」を唱え、古希を機
	に大部分の企業の役職から引退するまで、約500にのぼる会社の設立や経営に関わり、昭和6年(1931)
	11月11日、91歳の生涯を閉じた。
	1丁目7番にある今の王子駅前公園は、王子駅北口を出て岩槻街道(国道122号線)を越えたところの三角
	地だ。ここは千川上水を引水した地下貯水槽の跡で、明治通りを挟んで向かい側の内閣印刷局抄紙部(→大蔵
	省印刷局王子工場→国立印刷局王子工場)のための用水だった。この地に印刷局の工場が設けられたのは明治
	8年で、それより2年前に渋沢栄一が石神井川の水を利用した、我が国最初の洋紙製造会社「抄紙会社」を建
	てていた。のちの「王子製紙」である。用水は昭和46年まで使用された。































上は設立時の第一銀行の本店。渋沢栄一が興した会社の大半は、今でも活動中の大企業が多い。





「道徳経済合一」を揮毫する渋沢栄一。





	<渋沢邸跡>

	木々に囲まれた渋沢栄一の旧邸は「晩香廬」、「青淵文庫」、「渋沢資料館本館」からなっており、いつでも
	見学する事ができる。曖依村荘と呼ばれた旧渋沢邸は、明治11年(1878)に接待用の別荘として建設され、
	明治34年(1901)から渋沢栄一が亡くなるまでの30年間は本邸として使用されていた。この邸の名は、中
	国の詩人陶淵明の詩の一節「曖々遠人村、依々墟里煙」によるものと伝えられている。昭和20年の東京空襲
	により大部分の建物を失ったが、「晩香廬」「青淵文痺」(いずれも東京都の歴史的建造物)は焼失を免れ、
	今日に至っている。
	「晩香廬」は栄一の喜寿を祝って、清水建設から贈られた建物で、竣工は大正6年(1917)。暖炉・薪入れ・
	火鉢などの調度品、机・椅子などの家具も添えられた洋風茶室である。その名の由来は諸説あるが、自作の詩
	「菊花晩節杏」から取ったとも、また「バンガロー」をもじって栄一が付けたとも言われている。「青淵文庫」
	は栄一の80歳のお祝いと男爵から子爵への昇格のお祝いをかね、竜門社が寄贈した建物である。栄一の雅号
	「青淵」にちなんで名付けられ、栄一の書庫として使用された。








	<青淵文庫> (せいえんぶんこ)
	渋沢庭園にある。竣工大正15年。設計中村/田辺建築事務所。施工清水組。王子周辺は、戦前陸軍工廠があっ
	たためアメリカ軍の空爆目標となり、渋沢邸も大部分が焼失したが、この建物は辛うじて災難を免れた。文庫
	は、栄一の傘寿の祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて門人の「竜門社」が寄贈した建物だ。ステン
	ドグラスには、渋沢家の家紋「違い柏」、祝意を表す「寿」、竜門社を示す「竜」がデザインされ、窓枠や柱
	には柏の葉をデザインしたタイルがあしらわれている。
	当初は、2階書庫に栄一の集めた論語関係の書籍を収蔵し、1階で閲覧する設えだったが、関東大震災によっ
	て栄一が収集した書籍類は焼失したため、実際には内外の賓客の接待などに使用された。文庫の名は、栄一の
	雅号にちなんで名付けられた。文庫は、かつて資料館として利用されたが、渋沢史料館の完成で一般公開を止
	め修復工事が行われ、現在は区主催のクラシックコンサートなどが開かれることもあるが、文庫内は不定期の
	一般公開となっていたが、最近は記念日に時々公開されている。




	庭からの遠景。直線的な窓、扉、柱列の左右対称のすっきりとしたデザイン。これぞ「アーツ・アンド・クラ
	フツ運動の精神の具現」。窓枠や柱には柏の葉をデザインしたタイルがあしらわれている。庭に面した直線的
	なデザインとは違った、曲線が美しい。窓から垣間見る内部の照明器具。その光が何とも暖かく感じられる。






	<晩香廬> (ばんこうろ) 
	青淵文庫の裏にある和洋折衷の建物。大正6年の竣工。設計清水組技師長田辺淳吉。施工清水組(清水建設)。
	近代日本の代実業家の一人渋沢栄一の喜寿を祝い、清水組が長年の厚諠を謝して贈った小亭だ。建物は応接部
	分と厨房、化粧室部分をエントランスに繋いだ構成で、構造材には栗の木が用いられている。外壁は隅部に茶
	褐色のタイルがコーナー・ストーン状に貼られ、壁は淡いクリーム色の南京壁とした。晩香盧の名は、栄一作
	の漢詩文「菊花晩節香」から採ったとも、 栄一の父の法名から採ったとも、「バンガロー(bungalow)」を捩っ
	たものともいわれている。




	旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬及び青淵文庫は,大正期を代表する建築家のひとりである田辺淳吉の作風がよく示
	された作品である。ともにアーツ・アンド・クラフツ運動の精神が具現された数少ない大正期の建築作品とし
	て重要である。
	(文化庁発表、「国宝・重要文化財指定(建造物)に関する文化審議会答申」2005.10.28の中にある一文。)







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