Music: Hey jude
新潟の旅
渡辺君・石崎君をたずねて
2005(平成17年)10月8/9日(土・日)




	新潟へ行った。もう10年以上前に会社を辞めた新潟出身の石崎君と、数年前の希望退職に応じたこれまた同じく新潟出身
	の渡辺君が、最近二人で会社を作ったと聞いた。まだ会社も小さく、みんなが一丸となって燃えていた頃の同僚なので無性
	に懐かしく、また新潟県にも本格的に遺跡めぐりに行きたいところがいくつかあって、事前に二人に連絡してみたらぜひ来
	いと言ってくれたので、またまた出張帰りの連休を利用して行ってみることにした。新潟県で一番行きたい遺跡は朝日村だ
	ったが、二人は日曜日なのに車で案内してくれて、まるまる一日つきあってくれた。会社は立ち上げたばっかりで今から大
	変だと思うが何とか軌道に乗ってほしいものである。

	東京出張の定宿、九段会館でえらく早く目が覚めた。昨夜はそんなに飲んでいないのに、朝5時前に目が覚めてしまった。
	東京の女の子などは、私が九段会館に泊まっているというと、「井上さんらしい!」と言って笑うが、別にただ会社の傍だ
	ったので泊まっていただけで他意はない。しかし、以前に聞いた、「226事件の亡霊」というのに出会ってみたいという
	期待が若干あるのは確かだ。本社は、九段下から新しく開発された汐留へ移っていったので、もうここに泊まる必要はない
	のだが、なんとなくそのままここを定宿にしている。

 


	朝一番の上越新幹線「とき」で東京を発って、8時半に新潟駅に着いた。今回もろくろく調べてこず、おおざっぱな地図で
	行動したため、同じところを行ったりきたりするようなはめになった。だが初日は雨だったし、それに地理もよくわからな
	いので、もってきたリストの遺跡めぐりは断念した。代わりに、埋文センターと博物館をじっくり見ることにした。
	新潟駅構内に、佐渡金山の金鉱石がデーンと置いてあった。さすがは日本の金脈県。(ん?田中角栄を思い出したりして。)

 


	新潟駅からxx線(忘れた)に乗って「新津駅」に、新潟県埋蔵文化財センターはある。前もって連絡しておけば誰か学芸
	員の方が待機してくれたのかもしれないが、今回は時間もどうなるかわからなかったので事前の連絡は入れなかった。しか
	し閉まっていたら困るので、開館していることだけは確認して行った。東京は曇りだったが、新潟に近づくにつれ雨が落ち
	だして、新幹線で隣に座ったオジサンが「新潟は、弁当忘れても傘忘れるな、いいますからねぇ。」と言っていたのを思い
	出した。新潟は雨の多い地方だったのだ。近畿で言えば紀州南部のようなものか。

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	この後長岡へ戻り、今度は少し早い列車に乗って新潟へ戻ってきた。もう夕方で、一杯やるにはちょうどいい時間となった。
	今夜は泊めてやるという渡辺君に連絡し、万代橋を渡った新潟一の歓楽街で、もう一人の友人石崎君と3人で久しぶりの再
	開を祝った。



たそがれの万代橋とライトアップされた万代橋。

 
	渡辺君(左)と石崎君。石崎君とはもう10数年ぶりの再開だ。上右をクリックすると、この後行ったスナックの模様が。
	ほんとはもっと濃厚な写真もあるのだが、ここにはちょっと掲載できない。智子ちゃん元気かなぁ。



10月9日(日)


	昨夜は、新潟でも例によってのドンチャン騒ぎをやって、スナックの他のお客はだいぶ閉口していたようだった。渡辺・石
	崎両君は、「こんなん騒いだんは久しぶりですわ。」と言っていた。泊めてもらった渡辺君の家は新潟駅から10分くらい
	のところで、閑静な住宅街の中あった。




	新潟へ戻って来たらもう夜で、また3人で食事をした。私は、夜10:00に新潟を出て大阪へ向かう阪急深夜バスを予約
	していたが、出発の時間まで両君がつきあってくれた。ホロ良い加減でバスに乗り込み、渡辺君はバスが出るまで見送って
	くれた。消滅したとは言え、ぜひとも見たかった朝日村。しかし、訪れることはおそらくあるまいと思っていた遺跡にこれ
	たし、二人の元気な姿も見れて満足した今回の新潟紀行だったが、会社を興した二人にはこれからが正念場だろう。渡辺君、
	石崎君がんばってや。いろいろとありがとう。また近いうちに飲もうな。






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