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梶無神社 2006.1.29 歴史倶楽部・第106回例会






	<東大阪市の式内社  梶無神社(かじなしじんじゃ)>

	所在地 東大阪市六万寺町3丁目  河内国河内郡 
	祭神 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)

	二柱の夫婦神を祀るが当初の祭神は不詳である。が、饒速日命との説もある。社伝によると神武天皇東征の折、日下坂(く
	さえざか)の戦いに利在らず、船で回航したときに風浪強く、梶が折れて船が漂着した小丘に祖神を祀ったのが起源だとい
	う。縄文時代前期には河内は生駒山麓まで入り込んだ内湾であった。神武天皇上陸地は現在の下六万寺町3丁目付近の、
	「梶無」の小字名の残る地であるという伝承・風説がある。  
	大阪、生駒山の西麓には、古くから「東高野・ひがしこうや」と呼ばれる街道が走り、その沿道には、石器、縄文、弥生、
	古墳時代と太古から続く人々の営みの跡が残っている。この古く河内国と呼ばれる地域には、いわゆる由緒ある神社「延喜
	式内社」に載せられたものが113座もあり、千年以上経た今も、その殆どが連綿として残っている。境内には大きな楠が
	あり、アオバズクの繁殖地として市の天然記念物に指定されている。






	梶無(かじなし)とはまた変わった名前の神社である。伊達や酔狂でこんな名前を付けるとは思えない。おそらくは実際に
	「舵」を無くした事績があって、それが後世まで伝承されているのだと思われる。以下の社伝によれば、
	神武天皇が「舎坂衛(日下)の戦いで長髄彦に敗れた後、南下しようとして船を出したところ舵を無くしてここに漂着した。
	そこでここに小社を祀って祈願したと伝えられる。今の地理感覚で言えば、こんな内陸にどうして船が漂着するんだと思う
	が、河内湖がここまで迫っていたという地質学上の事実を知っていれば、俄然その伝承は信憑性を帯びてくる。後から日本
	書紀や古事記を呼んだ人々が、「よしここを「舵無し神社」にしよう。」と決めていったとはとても思えない。初めから、
	ここに「舵無し祠」があったと考えるほうが自然である。

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アオバズクが生息しているのはおそらく、左上の古木だろう。


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	幼いアオバズク2羽 顔のぞかせる…大阪・梶無神社   (2005年08月17日  読売新聞) 
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	大阪府東大阪市六万寺町の梶無(かじなし)神社で、幼いアオバズク2羽が木々の間から愛らしい顔をのぞかせ、参拝客や
	児童らの人気を集めている。樹齢約500年の古いクスノキに巣穴があり、毎年4月にオスとメスが別々に飛来する。今年
	はつがいになるのが遅れ、ヒナが巣穴から顔を出したのは例年より2週間遅い今月7日。「ヘビにやられたのかな」と周囲
	をやきもきさせた。ヒナは13日に巣立ちし、親鳥に飛び方や餌の取り方を習っている。川上惠三宮司は「来年以降も人気
	者に来てもらうために、自然を大切にしていきたい」。

	


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