金曜日に東京出張になったので、土・日を利用して、茨城県に行ってみることにした。東京から近いし、徳川光圀の水 戸には一度行ってみたかった。しかし茨城県と言っても広いし、すべて電車で移動するので足もなく、今回は水戸市と ひたちなか市に行くことにした。 ひたちなか市の埋蔵文化財センターに事前にMAILを入れていたら、なんと所長の鴨志田さんが土曜休みにもかかわらず 待っていてくれて、車でアチコチ案内してくれた。ここには、九州の壁画古墳と同じような壁画を持つ「虎塚古墳」が ある。そして鴨志田さんは、この古墳の発掘にはじめから終りまでかかわった人なのだ。また、この訪問から一月後に は、鴨志田さん著の「虎塚古墳」も同成社から出版されて、このHP製作にも大いに参考にさせてもらった。 鴨志田さん、事務員の さん、その節は大変お世話になりました。ありがとうございました。
なお、このHPでのデジカメ以外の資料は、そのほとんどを「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」にあった「埋文 たより」の各号(以下)から、および同センター所長の鴨志田さんからいただいた資料から転載した。記して深く感謝 したいと思う。
昨夜は上司と東京で飲んで、九段下の九段会館に泊まった。朝早く上野から電車に乗ったが水戸までは結構遠かった。昔、 転勤で流山に住んでいた頃は、常磐線を結構特急電車が通っていたように思うが、聞いたらもう殆どないとのこと。 新幹線が開通したので、おそらく特急電車はなくしてしまったのだろう。
そろそろ腰が痛くなり出した頃、やっとの思いで水戸駅に着いた。快晴でいい天気だ。午後には少し暑いくらいになった。 電車の中で、地図を見ながらどういうルートで廻ろうかと考えたが、一番近くの吉田古墳から廻ることにした。またタク シー代がかかるなぁ。
吉田古墳から大串貝塚を見てまた水戸へ戻り、水戸で昼食をとった。水戸城下、博物館、愛宕山古墳と見学して、JR水 戸駅から、茨城交通湊線というローカ線に乗って「磯崎駅」で降りた。今夜の宿はここである。ここにも「川子古墳」と いう古墳があると書いてあったがとうとう探し出せなかった。
磯崎駅の周辺にあるはずの川子古墳を見つけられなかったので、あきらめて宿へ行くことにした。遠そうだったのでホテ ルへ電話して迎えにこれないか聞いたが、「お一人様ですか。すみません、あいにく車が出ておりまして。」と断られて しまった。タクシーがあるような駅ではなく、駅からホテルまで約30分を、海岸線を見たり、神社の原生林を見たりし ながら歩いた。
ひたちなか市に行くことを決めてHPを覗いていたら、このホテルが目に付いた。ちょうと訪ねようとしている埋蔵文化 財センターや虎塚古墳の近くにあるし、なにより名前がいい。「ニュー白亜紀」だ。このホテルは崖の上に建っているが、 すぐ下の海岸は白亜紀の段丘が露出した海岸なのだ。海岸を歩けば中世代白亜紀層が見られる。化石も露出している。 天然温泉の露天風呂からの眺めもよく、料理もすばらしかった。
レストランでテーブルを一人で占領していたら、どなりのおばさんグループからジロジロ見られた。中年のおっさんが一 人で飯を食っているので珍しかったのか、まさか「自殺」を心配されたわけではあるまいと思うが。あまりチラチラ見る ので、頭にきて焼酎を次から次に飲み干して、ウェイターの兄ちゃんと大声で馬鹿話を始めたら、閉口して(?)そそく さとお帰りになった。おかげでこちとらはぐでんぐでんに酔ってしまった。翌朝ホテル入り口の案内板を見ると「ひたち なか市埋蔵文化財センターご一行様」と看板があったが、鴨志田さんは参加していなかった。
ホテルでタクシーを呼んでもらい、反射炉、十五郎穴と見て、埋蔵文化財センターへ。後は鴨志田さんが車で案内して くれて、JR勝田駅まで送ってくれた。鴨志田さん、お世話になりました。ありがとうございました。
水戸の町と虎塚古墳を訪ねてきた今回の旅。しかし他にもたくさん収穫があった。十五郎横穴古墳群など、まったく熊 本の石貫横穴古墳群とそっくりだったし、虎塚古墳の模様も熊本の「アブサン、チブサン古墳」や、私の故郷福岡県桂 川町の「王塚古墳」、朝倉の「仙道古墳」などの模様ともそっくりだった。これには、ただの偶然ではなく何か太古の 強いつながりを感じる。北部九州を経由して、おそらくは海路で、ここ関東平野北部へやってきた一団がいたのではな いか。そんな気になるほどよく似ている。