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110回例会 出雲王国の痕跡を探して
神庭荒神谷遺跡
2006年6月25日(日)



		 神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡>

		 神庭荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡の詳細はこちら。


		 1984年7月、ここで大量の銅剣が出土した。この当時、日本国内で発見されていた銅剣は全部あわせても
		 300本たらずだったのが、ここからは合計358本も出土した。夥しい量である。この発見は日本の歴史学
		 ・考古学に大きな波紋をなげかけた。358本の銅剣は安定同位体比法による金属分析が行われた。
		 結果は357本が中国産の鉛(10本程は朝鮮産と混合)、たった1本だけが朝鮮産の鉛であった。又300
		 本以上の銅剣の取っ手の部分にX印が刻まれていた。これは一体何を意味しているのか。

		 そして、銅剣の発見からちょうど1年後、荒神谷の発掘整理もまだ終了しない85年7月、銅剣発見場所から
		 ほんの数メートルの所から、今度は銅鐸6個と銅矛16本が発見された。学会はまた騒然となった。これまで
		 の常識では、文化圏の異なる(乱暴に分けると北九州と近畿)銅鐸と銅矛が併存する事は有り得ないとされて
		 きた。それが同時に埋められていたのである。銅剣・銅矛と銅鐸がともに大量に出土するなど今までの発掘で
		 は例がない。出雲はまさしく筑紫文化圏と大和文化圏の重なる地域である。
		 「古代出雲帝国」。
		 この青銅器出土は、まさしくその存在を露呈したのではないだろうか。筑紫高天原への「国譲り」。三輪山は
		 出雲の属国。私の主張は(古代出雲王国は存在したか?の項参照)次第に明らかになっていくような気がする。

 


		 説明板や標識がずいぶん増えていたし、駐車場もあった。駐車場の車止めも銅鐸だ。もって帰りましょうかと
		 だいぶ引っ張ってみたが、全然動かなかった。








 



 

 


		 もとは「出雲の原郷館」という資料館だったところが、博物館になっている。しかし展示室は狭く、展示物・
		 解説もさほど無く、おまけに写真撮影が禁止になっていて、現地の思惑とは裏腹に、歴史ファンにとっては完
		 全なマイナー・チェンジになっている。

 

 

 









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