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大阪本町・歴史倶楽部 ANNEX 
沖縄・史跡と考古の旅
〜 2018年2月 沖縄の旧石器人と南島文化を訪ねる 〜

私は沖縄は初めてである。西表島には二十年ほど前家族で遊びに行って、カヌーやスキューバダイビングを楽しんだことがある。その帰路 石垣島にも立ち寄ったが、まだ沖縄本島には足を踏み入れてなかった。このツアーを知ったとき、必ずしも旧石器遺跡だけで無く、首里城 や著名なグスクにも立ち寄るのを知って是非行きたいと思った。出来れば歴史倶楽部の連中で行きたいなと思ったが、名りをあげてくれた のは錦織さんだけだった。そこで歴史倶楽部例会 Annex として、沖縄旧石器の旅を楽しむことにした。全邪馬連近畿支部の小宮山さんも 参加していたし、二三人、以前のこの会社の別のツアーでの顔見知りも参加していた。
いざ、沖縄へ出発! 2018年2月21日。第一日目。 平成三十年二月に、以前「魏志倭人伝の旅」で洛陽から釜山への旅をした、同じ考古学専門ツアー会社から、「沖縄旧石器文化を訪ねて」 という案内が来た。見てみると私の行きたいところをほぼ巡る旅だったので、歴史倶楽部の錦織さんを誘って早速参加した。専門家が同行 するツアーで、今回は大阪府弥生文化博物館の学芸員中尾智行氏が同行した。 彼とは、我が歴史倶楽部の博物館見学の際特別に解説をお願いしたり、何かとお世話になっていて顔見知りだったので、道中タメ口で冗談 を交わしたり、邪馬台国論では近畿対九州で激論したりと、なかなか面白い旅だった。紀行文は道中記録したものだが、ツアーは旧石器時 代遺跡以外にも、グスクや首里城なども巡ったので、その部分は追記してある。 我が大阪本町・歴史倶楽部の会是は「日本人はどこから来たか」である。会は発足以来二十二年目を迎えているが、このクラブ・テーマは 今もって最重要課題として我々の前に横たわっている。この真理を求めて我々は、北海道から鹿児島までの日本各地と、韓国、中国、台湾、 シルクロードと、様々な遺跡を訪ねて歩き思索を重ねたが、真理の解明には未だほど遠い。 個人的にも、人類の母イブや、原人・旧人・新人の発祥やその展開、日本における旧石器時代、縄文時代などには大いなる興味をかき立て られている。このシリーズでも紹介した、ドイツのネアンデルタールや、フランスのクロマニョン、ラスコーの壁画洞窟などにわざわざ出 かけて、その痕跡をこの目で見たいという欲求も、その真理に迫りたいという願望の表れである。だが、現地へ赴き、人類の始祖たちの息 吹をこの目で見たとしても、人類の途方も無く長い歩みやその営みの全容はあまりにも遠大で宏大であり、これを理解するのは、私には一 生不可能では無いのかという気にもなってくる。 しかしながら、最近の人類学関係の学問は格段の進歩を見せ、特にDNAを中心とした人類の(日本人の)起源に迫る研究には目を見張る ものがある。ここ数年の、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤成也教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、現代日本 人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることが明らかになった。 また縄文人は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことも判明した。縄文人は中国人や韓 国人とは違う系統の人類進化の道をたどっているのである。それはまた、「では、縄文人はどこから来たのか?」と言う新たな謎を生み出 すことにもなったわけであるが。 那覇空港着陸 沖縄到着 これまで九州以北の日本本土では、旧石器時代の遺跡の数は1万件を越えているのに、彼らの人骨は、殆ど発見されていない。確実に旧石 器時代と認定されている人骨は、静岡県浜松市から出土した「浜北人」(はまきたじん)と呼ばれる人骨の頭骨片、四肢骨片のみで、一万 七千年前のものとされている。 一方沖縄では、多くの旧石器人人骨が発見されている。1960年代から沖縄では人骨が発見されているが、有名なのは1970年(昭和 45年)に沖縄県具志頭村(ぐしかみそん:現八重瀬町)港川で、地元の歴史研究家大山盛保(おおやませいほ)によって発見された「港 川人」(みなとがわじん)である。 最終的には4体の男女完全骨格が発見され、約2万年前のものとされた。またほぼ同時期(1968〜69)に、那覇市山下町第一洞窟で は小児の脚の骨(大腿骨、脛骨が発見され、同時に発掘された木片の放射性炭素年代測定の結果、3万6千年前とされた。 その後も沖縄・琉球列島では旧石器人骨の発見が相次いでおり、最新の話題は、2008年に石垣島東岸の白保地区で発見された「白保竿 根田原(しらほさおねたばる)跡」からの人骨である。新石垣島空港建設に伴って発見された人骨数体は、それぞれ、1万9千年〜2万4 千年前の旧石器人のものとされた。 日本本土では殆ど発見されない旧石器人骨が、なぜ沖縄ではかくも多く発見されるのだろうか。それは本土の同時代の土が火山灰を多く含 んだ酸性の土壌で、人骨は殆ど溶けてしまう事が理由のようだ。沖縄・琉球列島の土壌は、その多くが珊瑚礁の残骸からなる石灰岩から組 成されており、石灰岩には炭酸カルシウムが多く含まれるため、アルカリ分の成分によって人骨は風化から免れ、化石として残存するので ある。 沖縄・史跡の旅 スタート 私は北海道と沖縄の旧石器・縄文時代には昔から非常に興味がある。其れはこの両地域が、日本本土のその他の地域とは非常に異なった歴 史的経緯を経てきているからである。弥生時代や奈良時代、平安時代などはこの地方には無い。日本本土での鎌倉時代や戦国時代も勿論無 い。しかし旧石器や縄文時代はある。この頃の日本は全体が黎明期であるし、共通の発展過程を経ている点に興味を惹かれるのだ。この後 「北海道・旧石器の旅」にも参加するのだが、其れはまた別コーナーでご覧頂きたい。 上左は今回のツアーの主催会社「国際交流サービス」の辻田社長。何度かこの会社のツアーに参加して、随分とお世話になっている。 らしきものではなくて、ホンマモンのオスプレィだね。ヘリとジェットの両方の機能を持ってるなんて凄い! さぁ、それでは「沖縄の旧石器の旅」に Let'S Go! 第一日目の見学内容は、以下のアイコンをクリックしてください。 一日目の遺跡訪問が終わった。 本日の夕食・お宿は、「ホテルルートイン那覇泊港」。さぁ、晩飯だ、晩飯だ。 晩飯までの時間、沖縄のオリオン・ビールでのどを潤す錦織さん。 宴会場でもオリオンビールが出た。沖縄だから当たり前だね。 談笑する中尾さんと「国際交流サービス」の辻田君。辻田社長の息子さん。我々は「ジュニア、ジュニア」と呼んでいた。
第二日目の見学内容は、以下のアイコンをクリックしてください。 本日の夕食「料亭那覇」お宿は「ホテルルートイン那覇泊港」に連泊。 那覇で一番の料亭と言うだけあって、晩飯は豪華だったねぇ。 さぁ皆さん、ご一緒にーっ、と言うかけ声で、沖縄民謡に合わせて踊り出す。 呑み疲れ、踊り疲れてホテルへご帰還。 上左はどっかの会社の社長さん。旅の間中、私は彼を「社長、社長」と呼んでいた。右は女将さんとのツーショット。
第三日目の見学内容は、以下のアイコンをクリックしてください。

二泊三日の「沖縄・旧石器の旅」もオシマイだ。また来たいなぁ、沖縄。今度は何年後だろう。 このHPの解説文、写真、説明等は以下の文献を参照しました。記して謝意を表明します。  *参考文献 ・「島に生きた旧石器人 沖縄の洞窟遺跡と人骨化石」山崎真治著 2015年10月15日 新泉社 ・「沖縄の旧石器人と南島文化」   平成29年度大阪府立弥生文化博物館夏季特別展図録 平成29年7月1日 ・「沖縄県南城市 サキタリ洞遺跡の発掘」沖縄県立博物館。美術館 ・「沖縄県、沖縄県観光協会、沖縄県立博物館・美術館、沖縄県各市町村発行パンフレット」 ・ internet百科事典「ウィキペディア」
梓書院(株)発行「季刊 邪馬台国」第135号に掲載された、沖縄旅行記を読みたい方は 以下のアイコンをクリックしてください。内容は殆どこのHPに書かれています。
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