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大阪本町・歴史倶楽部ANNEX 
沖縄・史跡と考古の旅
〜 2018年2月 沖縄の旧石器人と南島文化を訪ねる 〜

2018年2月23日。三日目。
2018年2月23日(金曜日) AM5:00起床。昨夜は夕食が凄かった。ツアーで、ああいうどんちゃん騒ぎを体験できるとは思わなかった。夕食後歩いて 2、3分のホテルへ戻って来て、ロビーで時ならぬ「邪馬台国論争」となった。交通社の辻田社長、添乗解説者の中尾氏、全邪 馬連の小宮山氏、小生に錦織さん、他にも一、二名いたような。酔っていたのでつい、「だから近畿圏の考古学者はアカンねん。 アホばっかしや」と暴言を吐いてしまった。いや暴言では無い。ついつい本音が出てしまったのだ。中尾君などは少しムッとし ていた。多勢に無勢、さっさと部屋へ引き上げた。
バイキングの朝食後、8時半頃バスに乗り込む。えらく瀟洒なマンションやなと思ったら「那覇商業高等学校」と看板が上がっ ていた。バスはずっと海沿いの道を走ってゆく。「ーLINE」と書いた商船が結構多い。豊見城警察署の横を通って、具志頭 (ぐしちゃん)という所に着いた。






「八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館」を見学する。港川人を中心とした考古展示のほか、沖縄戦関係の資料も多く展示されていた。 港川人発見の経緯や、同時に見つかった動物の骨など多彩な展示があった。
八重瀬町立歴史民俗資料館へは、以下のアイコンをクリックしてください 資料館を出る頃、雨がパラパラし出した。資料館を出てバスで30分程、サキタリ洞から流れて来た雄樋川に沿って走る。 川が河口へ近づいて、道も少し幅広になった場所に、「港川古代人骨出土遺跡」がある。本によっては、「港川フィッシ ャー遺跡」とか「港川原人骨出土地」とか書いてあるものもある。   港川遺跡へは、以下のアイコンをクリックしてください
港川遺跡から昼食会場へ行く間に、具志頭城跡に整備された「沖縄戦忠霊公園?」に寄る。各都道府県の戦没者を慰霊する施設だ。




八重瀬町職員である 新里さんが解説してくれる。


















見学が終わって昼食に沖縄そばを食べた。正直私は、ラーメンや日本そば、うどんの方が旨いと思う。 昼食後は楽しみにしていた博物館である。グスクを模したと言うそのスケールには驚くばかりだった。本土でもこれだけのもの はなかなかあるまいと思うほどの「沖縄県立博物館・美術館」を見学して空港へ向かう。 サキタリ洞で解説してくれた山崎さんが、博物館内もまた案内してくれた。山崎さん、お世話になりました。中尾君いろいろ難 癖つけてごめんね。また大阪では宜しく。 沖縄県立博物館・美術館へは、以下のアイコンをクリックしてください
沖縄県立博物館・美術館に「港川人復元像」が所蔵されている。また、八重瀬町立具志頭歴史民族資料館には、常設展示の一つ として港川人コーナーがあり、全身骨格のレプリカやこれまでの研究成果が紹介されている。平成24年にはこの遺跡を発見し た那覇市の実業家、大山盛保氏の生誕100年にあたり、沖縄県立博物館・美術館にて大山氏を称える企画展が開催されたそう である。 博物館は凄い規模だった。グスクを模したという白亜の建物の中に、沖縄の歴史がぎっしりと詰まっている。ここへ来れば、沖 縄の歴史がその成り立ちから現代まで、一通り概観できる。勿論、港川原人やその他見てきた遺跡からの出土物も、レプリカも 含めて、所狭しと展示されている。沖縄の人々が生きてきた壮大な物語を見ることができた。 しかしながら考えてみれば、沖縄に旧石器人たちがどこからか到達した頃、私の先祖もどこかにいたのである。そしておそらく は、見たような頭蓋骨や背骨や手足を持ち、鹿の骨か猪の骨かで作った釣り針を作って魚を捕っていた。或いは石器を磨き、木 の枝に巻き付けて、オオツノジカに向かって投げていたかもしれない。私の祖父の、そのまた祖父の、さらにその曾祖父たちと どんどん遡れば、どこかの旧石器人が私の先祖なのだ。でなければ今の私はいない。私につながる血脈が、もしどこかで途絶え ていれば、今の私は存在していないはずである。途絶えること無く配偶者を獲得し、生殖に励んだ結果、子孫を残した。その子 孫はまた子孫を残し、縄文時代、弥生時代、奈良時代、平安時代と、しぶとくどこかで生き残り。明治・大正・昭和を経て、私 が誕生した。 そう考えると、実は我々のDNAの中には、単細胞やアメーバあたりから始まる生物の血脈が、延々何百万年と生き続けている のに気づく。どこかの魚の時代に、もし大きな魚に食われていれば、文字通り命脈はそこで尽きている。逃げ延びた魚の一部が 地上を這い、或いは木々を伝わって空気から酸素を取り込み、やがて陸生動物になった。そして、は虫類や鳥類やほ乳類になり、 子孫を残し続けてきたのである。何億年にもなるだろうこの壮大な流れの中で、どこかの一個体が子孫を残さず滅びていれば、 その血脈はいまこの世には存在していない。生命が、忽然とどこからか出現する訳は無いので、私の命は太古から続いているの だ。君や私、いま我々が生きていると言うことはそういうことなのだろう。   沖縄の港川で発見された原人(実際は新人だが)は、私の先祖とこの沖縄でともに生きていたかもしれないし、或いは同時代に、 中国大陸の南の果てか、チベットのヒマラヤ山麓でヤギを追いかけていたかもしれない。いずれにしても私の先祖は、この白骨 となった旧石器人たちと同じ空気を吸い、同じ瞬間を世界のどこかで過ごしていたのは間違い無いのだ。 沖縄の青い空と白い雲、澄んだ空気と爽やかな風を、私の遠い遠いじいさん達も楽しんでいたのかもしれないな。 平成最後の年、9月30日大阪・吹田にて
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