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大阪本町・歴史倶楽部ANNEX 
沖縄・史跡と考古の旅
〜 2018年2月 沖縄の旧石器人と南島文化を訪ねる 〜

港川遺跡(Minatogawa site) 出典:日本旧石器学会HP (後期旧石器時代後半 約22,000年前)
沖縄島南部、沖縄県八重瀬町長毛に位置する遺跡で、日本列島の旧石器人を代表する港川人の発見地として著名である。八重瀬町 指定史跡。遺跡は、沖縄島南海岸に流出する雄樋川河口右岸の標高20〜30mを測る石灰岩台地に形成されている。約 1.5km北には サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷内)があり、雄樋川(ゆうひがわ)流域一帯にはこの他にも多くの洞穴、岩陰遺跡が知られてい る。長毛は建築材として有用な石灰岩(通称:粟石(あわいし))の産地として知られる地域であり、後述するように遺跡の発見、 調査は石灰岩の採掘と並行して行われた。 当初は縄文時代晩期の遺跡として知られていたが、石灰岩採掘によってせん滅状態だったようである。1967年11月に那覇市の実業 家大山盛保(おおやませいほ)(故人)によって石灰岩採石場内に開口するフィッシャー(裂罅:れっか)内から動物化石(イノ シシ)が多く出土することが確認され、翌年 1月には断片的な人骨も発見された。当時、沖縄のイノシシは、人が持ち込んだブタ が野生化したものと考えられており、大山が発見したイノシシ化石や人骨についても、当初からこれらが更新世に由来すると認め られていたわけではなかった。 大山は家族や研究者の支援を受けて発掘を続け、1970年 8月から12月にかけて、フィッシャー内の深さ約20mの地点から4体分の全 身骨格を含む人骨群を発見した。この際に、人骨とともに回収された木炭から放射性炭素年代測定が行われ、18,250±650 14C BP (TK−99)、16,600± 300 14C BP(TK−142)という年代値が得られた。これによって、人骨が旧石器時代のものであることが 確認され、イノシシについても従来の想定よりはるかに古くから沖縄に分布していたことが明らかになった。 一連の調査の後、1998年から4ヵ年にわたって具志頭村(現八重瀬町)教育委員会による発掘調査が実施され、約9千年前の土器 や港川人の時代の動物化石など貴重な資料が発見されている。 港川人は1〜4号の4体分の全身骨格からなり、1号は男性、2〜4号は女性である。男性の推定身長は150〜155pと小柄で、特に 細い上半身に対して下半身は比較的発達していた。食べ物をかみ砕く咀嚼のための顔面構造は頑丈で、粗末な食べ物をよく噛んで 食べる放浪性の生活を送っていたと考えられる。 遺跡の約 2km西には八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館があり、港川人に関する展示コーナーも設けられている(月曜休館(月曜が 祝日、振替休日にあたる場合は火曜休館)と祝日の翌日、慰霊の日(6/23)、12/28-1/4(年末年始)) (山崎真治: 写真提供 沖縄県立博物館・美術館)
約2万年前の旧石器人である「港川人」(みなとがわじん)は、フィッシャーと呼ばれる岩の裂け目から見つかった。 肩幅よりも少し広い位の狭い裂け目に、なぜ人骨があったのかはまだわかっていない。狭すぎて居住空間では無いし、 狩りの場でも無さそうだ。4体も一緒に見つかった事から考えれば、事故で上から落ちたとも考えにくいし。葬送祭 祀儀礼を行っていたのかもしれない。或いは崖の上で争って、4人とも上から突き落とされたか、いずれにしてもそ の真相についての結論は出ていない。男性骨1体、女性骨3体が発見されている。 港川遺跡 雑草の生えた空き地の中を進んでゆく。ドン付きは広場のようになっているが、枯れた雑草とゴミの山である。切り 倒した木の切り株や、倒木の幹がそのままになっていて、「ここが日本最初の旧石器人発見の場所か!」とその荒廃 ぶりに驚いてしまった。てっきり綺麗な遺跡公園か何かになっていると想像していたのだ。
後で「沖縄県立博物館・美術館」を訪問したが、巨大なグスクを模したコンクリート作りの壮大な物だった。あんな 物を作れるのなら、その予算の100分の1で綺麗な遺跡公園ができるのにと思ってしまった。中尾君にそう言った ら、「近々整備するらしいですよ」と言ってはいたが、どうやら現在まだ私有地で、買収できていないもののようだ。 広場は三方が崖に囲まれていて、正面の崖に上から亀裂が入っているのがわかる。これがフィッシャーだ。
その後聞いたところでは、港川フィッシャー遺跡は、発掘調査後も取り壊されることなく、現在も当時の姿がそのま ま残されているが、私有地のため普段は施錠してあり立ち入りできないそうである。このツアーも事前に所有者の了 解を得て見学可能になったものらしい。見学希望者は、八重瀬町町立歴史民俗資料館に申し込むとなっている。
冒頭に記したように、この遺跡は1970年頃に地元のアマチュア考古学研究家の大山盛保氏により、具志頭村港川 の海岸に近い石切場で発見されたものである。全身が揃った人骨の出現は、旧石器人の形状を知る上での重要な資料 になった。この人骨は、石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で約2万4千年前の人骨が発見されるまで、全身骨格の形で 残っている日本の人骨の中で最も古いものだった。身長は男性で約153〜155cm、女性は144cmと小柄で、 筋肉質のしっかりとした体型ではあったようだが肩や腕の力は弱く、握力と咀嚼力は強かったことが骨から読み取れ るという。発達した下半身の割には、華奢な上半身、比較的細い顎など、本州の縄文人たちとは異なる身体的特徴が 推測されている。 フィッシャー(崖)
『かつて港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきたが、2009年の研究で、港川人を縄文人の祖先とする考え に疑問を投げかけるような分析結果が出ている。港川人は現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニア の集団に近いのではないかという説である。国立科学博物館の海部陽介研究主幹によると、港川人は本土の縄文人と は異なる集団だった可能性がある。つまり、港川人は5万〜1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布してい た集団から由来したことになる。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団は オーストラリアなどに限定されたのではないかと述べている。』(ウィキペディア)
「これまでに出土した化石人骨と縄文人の関係を見ると、縄文人に最も近いとされているのは沖縄島出土の港川人 (およ8千年前)であるが、形質面から見ると縄文人は港川人の次の段階とまでは言えず、両者の間には更に1つ2 つのミッシングリンクがあると考えられている。港川人の頭骨はワジャク人に近く、柳江人や山頂洞人(中国)には それほど似ていない為、少なくとも琉球弧の縄文人の祖先は環太平洋方面から来たのではないかと考えられている。」 (ウィキペディア)

















港川フィッシャー遺跡 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 港川フィッシャー遺跡(みなとがわフィッシャーいせき)は、沖縄県島尻郡八重瀬町にある旧石器時代の遺跡。旧石器人として知 られる港川人が出土した。 港川フィッシャー遺跡は、沖縄本島南部、那覇市より南方約10kmの島尻郡八重瀬町(旧・具志頭村)港川字長毛小字トーガマー原 に位置する。 アメリカ施政権下の1967年(昭和42年)11月、那覇市でガソリンスタンドを経営していたアマチュア考古学研究家の大山盛保は、 具志頭村(現・八重瀬町)港川の石材店で入手した庭石(粟石=石灰岩)に、動物の化石らしきものを見出し、この石の産地に動 物を求めて狩猟をしていた人類もいたのではないかと考えた。大山は港川・長毛地域の採石場に赴き、崖の割れ目(フィッシャー) を発掘すると1万年以上前のイノシシの骨が出土した。大山はイノシシを捕獲して暮らしていた人間の存在を確信したが、この考 えに同意するのは考古学者の多和田真淳ただ一人であった。遺跡からはハブ、ネズミ、カエルなど多種多様な動物の骨が出土した が、人骨はなかなか出ず、大山は日が暮れて暗くなると車のヘッドライトで遺跡を照らしながら発掘を続けた。 1968年(昭和43年)1月21日、大山は港川フィッシャー遺跡から人骨を発見する。同年3月19日、山下町第一洞穴遺跡の発掘のため 来琉していた東京大学の鈴木尚教授らを港川に案内する。予備調査を行うと、大山が採集していた化石骨のうちに、ヒトの脛骨2 点、上腕骨1点、足の親指、頭骨片が確認された。 1968年末から1971年(昭和46年)にかけて第一次調査が、1974年(昭和49年) からは本格的発掘調査が行われ、完全に近い全身骨が5?9体姿を現した。これが港川人である。 <第一次沖縄洪積世人類発掘調査団> 1968年12月25日?1969年(昭和44年)1月7日、東京と沖縄の人類学・考古学者の混成チームによる発掘調査。団長は渡邊直經(東 京大学)。人骨は発見されず。1970年8月、大山が地下約20mで完全な化石頭骨と人骨を発見し、渡邊が緊急調査、頭骨など約40点 の人骨片を発見した。同年11月、大山がほぼ完全な全身骨格を発掘する。 <第二次沖縄洪積世人類発掘調査団> 1970年(昭和45年)12月20日?1971年 1月10日。団長は田辺義一(お茶の水女子大学)。人骨数点が出土したが、同調査では地質 学的研究に力点が置かれた。 <第三次沖縄洪積世人類発掘調査団> 1974年12月23日?12月29日。団長は土隆一(静岡大学)。海水面下より人骨が出土した。1982年に本報告書Suzuki and Hanihara eds.1982『The Minatogawa Man』が出版された。 <具志頭村教育委員会の発掘調査> 1998年(平成10年)から4年間、4次にわたる本格的発掘調査が行われた。旧石器時代の人骨・石器の発見はなし。
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