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阿賀町郷土資料館

阿賀町郷土資料館 (新潟県東蒲原郡 阿賀町役場HPより転載)
旧上川中学校校舎を利用した、阿賀町の歴史と文化をテーマにした資料館。考古展示室では約2万年前
の氷河期に作られた上ノ平・吉ヶ沢遺跡出土の旧石器(県指定有形文化財)、縄文時代の始まりの解明
に手がかりを与えた国指定史跡・小瀬ヶ沢洞窟資料、様々な文様で飾られた縄文土器、人々の祈りが形
となった土偶や石棒など、阿賀町の歴史の第一歩を知ることのできる出土品が数多く展示されています。
歴史展示室では古代から幕末までの阿賀町=小川庄(こがわのしょう)の歴史の流れを年表と解説パネル、
遺跡の出土品、民俗資料、歴史文書を交えて紹介しています。会津と越後両属の個性的な地域史をご覧
ください。

阿賀町郷土資料館詳細
所 在 地 : 阿賀町両郷甲2200
開 館 時間 : 午前10時〜午後4時 休館日:月・火曜日、年末年始
※ただし月・火曜日が祝日に当たる場合は開館。その直後の開館日を休館日とする。
例:2014年2月9日(日)開館・10日(月)休館・11日(火・建国記念の日)
開館・12日(水)休館
入 館 料 : 無料 ※阿賀野川文化資料館は現在休館中です。
お問い合わせ先: 阿賀町教育委員会社会教育課 電話:0254-92-3333
阿賀町郷土資料館 電話・FAX共用:0254-95-2253

































































































阿賀町 <出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
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阿賀町(あがまち)は、新潟県下越地方の東蒲原郡にある町。2005年に津川町・鹿瀬町
・三川村・上川村の4町村が新設合併し発足した。町名の由来は地域を流れる阿賀野川
から。江戸時代までは会津藩領であり、町域の大部分は明治19年まで福島県に所属して
いた。
町の中央を阿賀野川とその支流の常浪川が流れ、その沿岸の段丘を中心に開けた山間地
域。面積は952.88平方キロメートルで、新潟県面積の約6.8%を占めている。その広さは
県内30市町村で村上市、上越市に次いで3番目である。
山形県西置賜郡小国町・飯豊町とは数メートルまで接近しているが接していない。間に
ある飯豊の稜線の登山道が福島県喜多方市だからである。町の中心である津川は会津と
越後を結ぶ水陸の交通結節点として古くから栄え、江戸時代には「津川船道(ふなどう)」
と呼ばれる水運業者が新潟湊との間の舟運ルートを統制していた。

明治期には古河市兵衛による草倉銅山の本格開発が始まり、鉱山ふもとの角神(つのが
み)には製錬所や河港が整備された。1883年(明治16年)には別子銅山に次ぐ国内2位
の産出量となったが渇が進み、1914年(大正3年)に閉山となった。昭和初期には鹿瀬
ダムが完成し、豊富な電力資源と阿賀野川左岸でとれる石灰岩を利用して昭和電工(現
・新潟昭和)鹿瀬工場が操業開始。鹿瀬は企業城下町の性質を持つ。
過去の豪雨災害時には河川氾濫が度々発生しており、平成23年7月新潟・福島豪雨や令
和元年東日本台風(台風19号)でも浸水被害が出ている。

年表
明治元年9月22日(1868年11月6日) - 会津戦争で会津藩が新政府軍に降伏し、領地を
没収される。
10月1日(1868年11月14日) - 旧会津藩領に若松民政局を設置。現町域の大部
分がその管轄となる。
明治2年5月4日(1869年6月13日) - 若松民政局を廃され、若松県が設置される。
明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により福島県の管轄となる。現在
の阿賀町の大部分もここに属した。
1879年(明治12年)1月27日 - 郡区町村編制法の福島県での施行により、福島
県蒲原郡に行政区画としての東蒲原郡が発足。
郡役所を津川町に設置。
1886年(明治19年)5月27日 - 東蒲原郡が新潟県の管轄となる。
2005年(平成17年)4月1日 - 東蒲原郡津川町・鹿瀬町・三川村・上川村が合併
し発足。

近世や近代には前述の草倉銅山のほか、大谷金山(昭和初期に三川鉱山に改称)、持倉
鉱山など様々な鉱山があり、遺構が現在にも残る。
町内には新潟交通観光バス津川営業所が置かれ、2019年夏時点では合計13の系統が運行
されていたが、運転手不足のため2020年ごろを目途に全路線廃止となる可能性が報道さ
れており、2019年秋には一部路線が廃止されている。なお、大半の路線バスと並行する
形でスクールバスが運行されている。
町内には多くの温泉があり、民間のほか、町や第三セクターにより運営されている施設
がある。このうち第三セクター「上川温泉」により運営されている施設が2019年9月時
点では6施設あったが、新型コロナウイルス感染症流行の影響などを受け、同団体は
2020年5月末をもってすべての指定管から撤退。このうち2施設(みかぐら荘、清川高
原保養センター)は全撤退前の2019年10月より、1施設(赤湯)は2020年7月より町営
での営業に切り替わり営業継続されているが、残る3施設の存廃は未定である。また、
同じく第三セクターの「ホテルみかわ」は2017年に中国資本の日本法人により買収され
たが、こちらも新型コロナウイルス感染症流行の影響により2020年3月で休業となった。
なお、「角神湖畔青少年旅行村」も「上川温泉」により運営されていたが、「かのせ赤
湯」と同日に町営による営業に切り替わった。


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