Music: Ps I love you

長者原遺跡(ちょうじゃがはらいせき)
長者ケ原遺跡公園 (糸魚川市HPより転載) 長者ケ原遺跡公園は、国の史跡・長者ケ原遺跡を保存・公開するために整備されました。発掘調査 の結果を元に一部の住居などが復元されており、当時のようすをうかがい知ることができます。

長者ケ原遺跡とは (糸魚川市HPより転載) 長者ケ原遺跡は市の中央を流れる姫川の東側、海岸から約2.5km、標高90m前後の高台に位置する、 約5,500年前〜4,000年前の縄文時代に営まれた北陸最大級の集落跡です。姫川から海岸へ流れ出た さまざまな石を加工し、特に石斧とヒスイの玉類の製作と流通の拠点として栄えました。

大地のはたらきと長者ケ原遺跡 (糸魚川市HPより転載)  長者ケ原ではヒスイをはじめとした様々な石の加工品を作り、その交易で栄えたということが分 かっています。縄文人にとって石は、現代人にとっての金属にあたる、くらしを支える重要な資源 でした。石は大地のはたらきによってできるものです。元になっているものは何か、どのような力 (熱、圧力など)がはたらいたかにより、その性質は様々に変化します。フォッサマグナの西端で ある糸魚川では大地に様々な出来事が起こり、そのため様々な種類の石ができました。資源が豊富 にあり、それらの性質を上手に見抜いて活用することで、縄文時代の長者ケ原は栄えたのです。
長者ケ原のくらしを支えた自然 (糸魚川市HPより転載)  集落はゆるやかな丘陵にあり、現在でも豊かな緑に覆われています。東西は深い沢となっており、 所々には湧水もあります。古環境調査ではクリ、ナラ、シイ、クルミ、カシなどの森が広がってい たと推定されており、クマやイノシシも生息していたようです。集落の東を流れる城の川が形成し た汽水域や湿地は生物や植物の宝庫でした。西を流れる急流の姫川は流域のヒスイやさまざまな石 を海岸へ運び、海には魚などの水産資源が豊富にありました。発掘調査ではイルカやアシカの骨も 出土しています。  縄文時代は農耕が発達しておらず、食料を確保するために多くの時間を割いていました。そのた め、それ以外の生産活動に多くの時間を費やすことは難しかったと考えられています。しかし長者 ケ原の集落はこのように多様な自然に恵まれていたため、食糧も石という資源も容易に調達するこ とができました。そのため、石の加工や交易に時間を割くことができたのだと考えられています。















 長者原遺跡・考古館へ戻る   第一日目INDEXへ戻る  上越市片貝縄文資料館へ   邪馬台国大研究/歴史倶楽部/第232回例会・新潟・縄文の旅/第一日目