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 大阪本町歴史倶楽部 第220回例会 
 「井上筑前講演会 & 朝倉遺跡・旧跡めぐり」 2日目



秋月郷土館 朝倉市大字野鳥






















	
	300石と言えば秋月藩では上級藩士である。石高だけで言えばベスト5に入るのではなかろうか。
	その上級藩士でも住まいはこの程度である。秋月藩は宗家の福岡黒田藩に比べて禄米(給料)が少なか
	ったと言われるが、福岡藩でも武士の実情は似たようなものだった。
	ちなみに福岡は「黒田五十二万石」等と言われるが、実際には秋月の5万石を引いて47万石なのだ。

	しかも、その47万石にしても、実高は40万石ほどと言われている。それは、初代藩主黒田長政が福
	岡を拝領したとき、備前の小早川秀秋が51万石と言うのを聞いて、あいつに負けてたまるかと、秀吉
	以来の検地をやり直し、幕府に52万石と届け出たからである。幕府は上方修正の場合には申告をその
	まま受け入れたので、長政の見栄と負けず嫌いのせいで、秋月は藩成立当初から財政難に陥っている。


	
	上の土蔵も展示室である。おもに古文書や民俗資料、緒方洪庵に関するもの等が展示してある。「明治
	最後の仇討ち」の臼井六郎が仇討ちに使った短剣などもある。


	
	上の美術館には、ピカソやマチスを始め、梅原龍三郎、東山魁夷などそうそうたる画家達の絵が展示さ
	れている。これは横浜で開業医をしていた土岐氏が収集した絵画を、一括して秋月へ寄贈されたため、
	郷土館とは別に美術館を建てて収蔵してあるもの。土岐氏は旧姓「田代氏」で、代々秋月黒田藩の家老
	を勤めた家柄であり、その住まいは、私の実家のすぐ近くにあった。明治になって田代から土岐へ改姓
	したそうである。


	
	「けいこかん」というのは、八代藩主長舒(ながのり)が、福岡藩から亀井南冥の弟子だった原古処
	(はらこしょ)を招聘して開校した藩校である。ちなみに長舒は宮崎「高鍋藩」の秋月家から養子に来
	た人物で、米沢上杉藩へ養子に行った上杉鷹山の甥にあたる。長舒の父が鷹山の兄で、高鍋藩主である。
	つまり秋月家は、約百数十年過ぎて、ふたたび先祖の地へ里帰りした事になるのである。


秋月藩邸の模型


秋月郷土館について、もっと見たい方は以下をクリックして下さい。



	
	(*)この資料館は、黒田家から朝倉市が「所蔵物一括寄贈」を受けたので、現在「朝倉市秋月博物館」
	   として平成29年のオープンを目指し建設中である。
	
	新秋月郷土館(仮称)の進捗状況について

	 平成25年3月に、(財)秋月郷土館(理事長:黒田長榮氏)から、「旧戸波家住宅」「秋月郷土美術
	館」を含む「秋月郷土館」の土地・建物・収蔵の全ての寄贈を受けた朝倉市では、北側隣地、旧秋月藩
	校の「稽古館跡地」を中心に約 3,000uの用地を買上げ、貴重な資料を収蔵・研究・展示して地域で活
	用するための博物館施設「新秋月郷土館(仮称)」の建設に取り組んでいます。
	 25〜26年度に博物館施設本体の設計(徳岡設計)、26年度に展示設計(丹青社)を実施し、建築業者
	も4月15日には決まり(地元の小嶋・才田・梶原共同企業体)、いよいよ27年5月着工を目指しています。
	 本体工事は27年度中に完成する予定ですが、貴重な文化財資料(秋月黒田家資料、土岐コレクション
	を中心とする美術資料など)を収蔵・展示しますので、建物本体から発生する文化財に悪影響を与える
	ガスを抜くために1年余の「枯らし期間」を設け、平成29年の秋の開館を目指して、様々な準備を行っ
	ていきます。
	 また、博物館施設に連動して、数年かけて「旧戸波家住宅」についても公開武家屋敷としての修理事
	業を計画しており、秋月らしい質実剛健な武家文化を体験できる場所にしていければと思います。

	 関係者のご指導・ご協力を宜しくお願い申し上げます。 (朝倉市教育委員会文化課 川端正夫)


朝倉市秋月博物館の完成予想図





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