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 大阪本町歴史倶楽部 第220回例会 
 「井上筑前講演会 & 朝倉遺跡・旧跡めぐり」 2日目


秋月へ
	
	秋月は私の生まれ故郷である。秋月小学校に通い、秋月中学校で学んだ。その時の自分史は以下のURLに
	あるので、興味のある人はご覧頂きたいが、あくまでも私の「自分史」である。

	「青春の城下町」

	隈部さんは、さる国立大学の歴史関係の学科を卒業して朝倉市に勤めている、従って朝倉市の歴史は元より、
	歴史全般に詳しく、勿論、行政上の担当者として発掘調査も手がけている、本来は学芸員なのだ。その隈部
	さんが我が故郷秋月を案内してくれる。ありがたや、ありがたや。





上をクリックすれば拡大します。



川茸石碑 朝倉市大字下渕(旧安川村下渕)






	
	小石原川で川茸(かわたけ)が採れていたなんて全然知らんかったぞ。こんな石碑、前は無かったし。平成
	21年という事は7年も前だ。と言う事は、石碑があるのを知らずに通り過ぎていた訳か。それにしても、
	魚獲りも禁止されていたとは。







全邪馬連関西支部の矢口さん。私が講演するというのを聞いて
いち早く「応援行きますからね」と言ってくれた。



眼鏡橋 朝倉市大字下秋月





今はバイパスが出来て車両は通行禁止だが、昔はここをバスが通っていたのだ。



我々が子供の頃は眼鏡橋と呼んでいたが、小学校の校歌には「オランダ橋に月かすみ、・・・・」とあった。







完成し殿様を呼んで落成式をやろうという直前に橋は全壊した。その模様は葉室麟の[秋月記」にも描かれている。



石工達は一旦長崎へ帰った後、長崎の眼鏡橋を調べ直して再挑戦させてくれと、再び秋月へやってきた。



そして更に2年の月日を費やして、再び眼鏡橋は完成したのである。ドラマだねぇ。




 邪馬台国大研究/歴史倶楽部/220回例会・朝倉市講演会