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和多都美神社
平成15年10月11日(土曜日)
和多都美神社(わだつみじんじゃ)(対馬一之宮)
本日最初の訪問予定地、和多都美神社に到着。運転しだした最初、緊張していた河内さんもだいぶ馴れてきて、10人乗
りマイクロを自在に操るようになった。後でみんなからその運転技術を賛美され、「さすが日産出身。」とおだてられて
いた。
豊玉町の由来にもなった豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と、「海幸山幸」の神話で知られる彦火々出見尊(ひこほほ
でみのみこと)を祭神とする海宮で、海神神社の一の宮として古くから竜宮伝説が残される。本殿正面の5つの鳥居のう
ち2つは海中にそびえ、潮の干満によりその様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる。海に面して建つ鳥居は、満潮時に
は2mも海中に沈む仕掛けがあるという。
対馬は古代、日本の先進地域であった。先進国の中国や朝鮮の文化は、必ずこの対馬を通って北九州・大和へ伝えられた
はずである。対馬を根拠とする海女族は、古代の政治に大きな影響力を持っていたのではないかと思われる。日本書紀、
古事記が伝える海幸彦・山幸彦の物語はこの対馬のことであると言う意見も、あながち看過できないのではないか。
<海幸彦・山幸彦物語>
天照大神の孫、瓊々杵命(ににぎのみこと)に、火照命(ほでり)、火遠理命(ほおり)という兄弟が居た。兄は海で魚
をとって暮らし、弟は山で獣を追って暮らしていたので、兄は海幸彦、弟は山幸彦と呼ばれた。ある時、山幸彦は嫌がる
海幸彦から、無理矢理釣り針を借りて、海の魚を釣ろうとするが、一匹も釣れずに大事な釣り針をなくしてしまう。兄は
どんなに弟が詫びても許さず、元の釣り針を返せと言う。困り果てた山幸彦が海岸でしょんぼりしていると、塩土翁(し
おつちのおきな)がいぶかって、「どうして日の皇子が泣きたもうか?」と訊くので、山幸彦がわけを話すと、翁は舟を
与えて、「これに乗っていけば、魚鱗(いろこ)の宮に着く。そこはわたつみの神の宮で、きっと力になってくれる。」
と言う。舟は無事にわたつみの神の宮に着く。そこで出会った海神の娘、豊玉姫と結婚し、なくした釣り針も、鯛の喉か
ら見つかる。3年後、わたつみの神の支援を受けて、山幸彦は本土に攻め上り、兄の海幸彦を服従させる。この山幸彦と
豊玉姫の子供が、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)で、神武天皇の父になる人である。
記紀に書かれた神話の概要は上記のような内容だが、ここに言う魚鱗(いろこ)の宮というのが、対馬一之宮の和多都美
神社であるとされる。この神社のさらに北方に海神神社があり、一之宮はこちらだという説もあるが、いずれにしても、
この神話が物語るところは、大和政権の伝承に海女族の物語が深く記憶されており、古代の皇位継承にも何らかの関与を
していたのではないかという推測を生む。しかし、神話の里宮崎に行くと、当然こちらにも海幸彦・山幸彦物語があり、
神話の本家本元はこっちであると主張している。
豊玉姫の墳墓
海に向かって続く鳥居の前の河原さん。豊玉姫があがってくるのを期待しているのかもしれない。
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