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内子座
愛媛県喜多郡内子町・歌舞伎劇場
1998.8.17


	
	98年夏休み、帰省の帰りにWifeと四国に寄った。大分の佐賀関からフェリーに乗り、約40分で愛媛県八幡浜近くの
	三崎港に着く。三崎港から八幡浜のちょうど中間位の所にこの風車(風力発電機)が一機立っていた。蝋燭と古い
	町並みで有名な「内子」に寄りたいというWifeの希望で内子町へ向かう。
	内子の町には様々な資料館、博物館が建ち並び、内子の町の繁栄時の姿を紹介していた。町並みも明治・大正・昭
	和初期のものがそのままに残されており、ちょっとしたノスタルジーを味わえる。大正5年に創業したこの歌舞伎
	劇場「内子座」も、やがて経済の衰退と老朽化により取り壊される運命であったが、地元の強い熱意で改修・復元
	され、昭和60年から再び劇場として使用されている。平成7年には、奈落、迫、鳥屋が改修され大規模興業が行
	える本格劇場となった。訪れた日には、数日後に行われるある演歌歌手の公演ポスターが張られていた。

 


	内子町役場発行「内子座」案内パンフレットより
	
	この劇場は、木蝋や生糸等の生産で経済的にゆとりのある時代に、芸術、芸能を愛してやまない人々の熱意で生ま
	れた木造の劇場です。あるときは、歌舞伎、人形芝居、あるときは落語、映画等、農閑期には、もてはやされ出し
	物が内子座を彩り、人々の心の糧として大切にされました。名前を内子座といいます。
	内子座は、大正5年2月(1916)大正天皇即位を祝い、創建。木造2階建て瓦葺き入母屋造り。ホールとして活用後、
	老朽化のために取り壊されるところ、町民の熱意で復元。昭和60年10月、劇場として再出発。現在では年間7
	万余人が見学し、1万6000余人が劇場活用。約650人で劇場は一杯となる。


 

 

 

奈落へ落ちる。全て木造つくり。廻り舞台などを動かすのは全て人手である。

 

下左の写真、下がっている棒を握りぐるりと大きく廻って、数人掛かりで動かすものらしい。
下右は、舞台を上下させる仕掛けのようだが、どうやるのかはわからなかった。

 

 

桝席。かっては桝単位の入場料だったが、現在は一人づつの料金である。
桝は狭く大人3人でぎゅうぎゅうという感じだ。相撲の桝席よりも狭い感じがする。

 

	
	大正時代の開業当時から経営にはだいぶ苦労していたようだ。債権や株券が多数展示してあった。下は、内子の
	町並み。内子の蝋燭は、和蝋燭として広く海外にも輸出され蝋燭成金が大勢いた。それらの豪邸や蔵が今も内子
	の町並みを飾っている。

 

	
	内子座を見た後内子焼きの窯元を訪ねて陶器を幾つか買った。あれもこれもと嫁半が買うもんだから、店番のば
	ぁちゃんに「お仕事に使いはるの?」と聞かれてしまう。あわてて「いいえ、家で使うんです。」と嫁半が答え
	ると、ばあちゃんは「まぁまぁ、そうですか」といって、大きな皿と湯飲みみたいなものをおまけしてくれた。

	泊まった道後温泉の宿の食事。10数階建てのビルみたいな宿だったが屋上に露天風呂があった。





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