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宇治を訪ねて 歴史倶楽部弟69回例会
上林記念館



		
		宇治と言えば一般的に有名なのがお茶である。「静岡茶」「八女茶」と並び、宇治も日本で有数のお茶の産地として知られている。
		なぜ、いつ頃、この宇治がお茶の産地として有名になっていったのだろうか。茶の原産地は中国南部の雲南地方といわれ、日本に
		は9世紀の初頭に伝教大師と弘法大師によって伝えられたといわれる。しかしその時はさほど普及せず、本格的に日本で飲茶の風
		習が広まったのは、建久2年(1191)建仁寺の僧・栄西禅師が宋から茶種を持ち帰ってからである。鎌倉幕府の成立前夜だ。栄西禅
		師からその種子をもらい受けた京都栂尾高山寺の明恵上人は、これを宇治五ヶ庄の里へ運び、宇治の地を馬に乗って回り、そのヒ
		ヅメの跡に茶を植えたと伝えられる。これが宇治における茶栽培の初源のようである。黄檗山萬福寺門前の「駒の蹄影園碑」は、
		これを記念して建てられている。


		
		その後、宇治は土が茶の栽培に適していた上、川霧が立ち込めて湿度が高く良質の茶がとれ、政治の中心が京都に集中するように
		なって、都に近い宇治の茶は、次第に全国的に知られるようになっていった。南北朝期以降、足利将軍家の保護を得てから急速に
		発展し、茶の湯の隆盛とともに宇治茶は日本茶の代表のような地位を得た。将軍足利義満は、宇治に森・祝井・宇文字・川下・奥
		ノ山・朝日・琵琶の七茗園を作っている。

 
		
		上林家は、元々丹波上林郷(京都綾部市)に居住する土豪であったが、永禄年間に、初代久重が宇治に移住し、茶業に携わったの
		が、宇治茶と上林家の結びつきの始まりという。久重の4人の子息はそれぞれ一家を興し、上林久茂、上林味ト、上林春松、上林
		竹庵となり宇治を代表する茶師として重要な役割を果たす。桃山時代には、茶頭取として豊臣秀吉に重用され、上林一族が宇治茶
		の総支配となり、また、宇治郷の代官にも任ぜられた。徳川幕府も上林家に宇治代官、茶頭取を任命し、上林家は長らく宇治茶の
		総支配をまかされる事になる。

		江戸時代、将軍家御用の茶を運ぶための旅は「茶壺道中」と呼ばれ、往路は東海道、帰路は中仙道・甲州街道を通り、17世紀後
		半から18世紀初頭に「茶壺道中」は全盛期を迎える。この道中は大名行列に優先したとも言われ、童謡「ずいずいずっころばし」
		に歌われる、「〜茶壺に追われてトッピンシャン、抜けたらドンドコショ」という文句は、この道中に慌てふためく庶民の姿を歌
		っている。
		明治維新後、宇治茶師の各家は相次いで転廃業したが、上林春松家は、唯一宇治茶師の後裔として現在に至るまで茶業を営んでい
		る。初代上林春松軒が居を構えた、宇治橋の西一丁目に今も茶補があり、一部を上林記念館として公開している。記念館横の老舗
		茶店「お茶のかんばやし」では、豊富な宇治茶をお土産にできる。
 

 
		
		【上林記念館(かんばやしきねんかん)】
		元禄時代に建てられた、上林春松家の立派な長屋門が商店街に面している。往事、宇治橋通りに十数件あって御茶壺道中や諸藩の
		御茶壺を送り出していた長屋門の唯一の遺構である。白い土壁の館内には、製茶の用具、千利休、小堀遠州に関わる古文書や茶の
		道具なども展示され、宇治茶の歴史も分かりやすく理解できるようになっている。 また、宇治茶に対する豊臣秀吉の書状や利休に
		まつわる書状、桃山期を中心に海外から舶載された呂宋(ルソン)壺、献上茶壺、入日記等、時の権力者と宇治茶との関わりを示
		す資料など、貴重な資料が数多く展示されている。 

		名称  : 上林記念館(お茶の博物館)
		所在地 : 〒611-0021 宇治市宇治妙楽38 
		電話  : 0774-22-2513 
		最寄り駅: JR宇治駅・京阪宇治駅から徒歩5分 
	 	拝観時間: AM 10時〜16時  金曜日休
		拝観料 : 200円 

 
		
		上林竹庵は、上林又兵衛家の始祖、上林久重の四男で若年より徳川家康に仕え三河土呂郷の支配に当って百石の知行を受け、三河
		茶の栽培に関与したと伝えられる。のちに宇治に戻り茶業に精励したが、関ケ原役に際して、旧主家康の恩に報じて伏見城に籠っ
		て鳥居元忠とともに奮戦し城内において戦死した。この像は竹庵の百年忌に際して宇治平等院に祀られたもの、その功を讃えて建
		立された顕彰碑は平等院境内にある。 

 




 

宇治の黒松。舟松ともいう。松の枝がまるで舟と帆のようにせり出して居るところから名付けられた。この御茶屋さんの庭にある。

 

		
		歩き出していきなり喫茶店でお茶を飲む。宇治に来たらやっぱ宇治のお茶やろう、と言うので全員お茶菓子付きの抹茶を頼む。そ
		れにしても窓から見る黒松は、これが1本の木とはとても信じがたいほどの枝振りだ。宇治の茶舗はいずこも創業の歴史は古く、
		将軍へ献上するお茶を運ぶ行列は、大名行列に優先したと言うから恐れ入る。

 

		
		宇治市のメインイベント「宇治茶祭り」は毎年10月第一日曜日に開催されている。この祭りは、栄西、明恵、千利休他、茶業の
		功労者を讚え茶樹を供養するため、秀吉が毎日宇治橋守の通円に水を汲ませた故事にちなみ、興聖寺で茶事が催される。新茶の茶
		壺口切り、表千家・裏千家(一年交替)の献茶、法要の後、宇治川では屋形船上の煎茶席が催され、午後には宇治神社御族所から
		時代行列が出発し、宇治茶の文化を伝える華やかな祭りは多くの人々でにぎわっている。


 
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