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篠山杜氏酒造記念館
2003.4.27(日曜)





	【丹波杜氏酒造記念館】
 	古くから丹波篠山地方は酒造りの町として知られ、最盛期には5000人以上の人々が灘を始めとした近畿地方から、全国
	各地へ、さらに戦前は、遠く中国・満州まで酒造りに出ていたと言う。丹波杜氏の歴史は古く、丹波杜氏組合発行の「丹波
	杜氏」によれば、江戸時代中期の1755年に丹波杜氏が現れたと記録されている。
	有名なデカンショ節はこの酒造り職人達の中から生まれたものとされ、出稼ぎを唄ったもので、「でかせぎしよう」から変
	化したという説が有力だが一説に依れば、100年程前の1898年、旧制の一高生が、篠山出身者が唄う歌を聞いて寮へ
	持ち帰り広めたとされる。そのため、デカンショという言葉の起源は「デカルト カント ショーペンハーウェル」の3人
	の哲学者の頭の文字を採ったと、まことしやかに流布されている。
	この記念館では、酒造技術の近代化によって失われつつある各種の酒造用具類や資料、酒造りの工程を、いくつかの過程ご
	とに分けて展示してある。丹波杜氏の由緒や古くからの道具・資料もあり、悲惨な杜氏達の歴史や、昔ながらの手作りでの
	酒の醸造過程を見学することができる。

 

		【デカンショ節】
		デカンショ デカンショで半年暮らす ヨイ ヨイ
			  あとの半年 寝て暮らす ヨーイヨーイ デカンショ
		雪がチラチラ 丹波の宿に ヨイヨイ
			  猪(しし)が飛び込む ぼたん鍋  ヨーイヨーイ デカンショ
		丹波篠山 山奥なれど ヨイヨイ
			  霧の降るときゃ 海の底 ヨーイヨーイ デカンシショ
		丹波篠山 鳳鳴(ほうめい)の塾で ヨイヨイ
			  文武鍛えし 美少年 ヨーイヨーイ デカンシショ
		酒は飲め飲め 茶釜で沸かせ ヨイヨイ
		  	お神酒あがらぬ 神はなし ヨーイヨーイ デカンシショ
		灘のお酒は どなたが造る ヨイヨイ
		 	 おらが自慢の 丹波杜氏 ヨーイヨーイ デカンシショ
		私しゃ丹波の かち栗育ち ヨイヨイ
			  	中にゃ甘味も 渋もある ヨーイヨーイ デカンシショ

 




	全国に杜氏の里といわれるものは丹波杜氏のほかに南部杜氏、丹後杜氏など約28あるとされる。技術力、組織力をもって
	丹波杜氏はその頂点に位置している。近畿地方で古くから酒の里といえば伊丹・池田が有名だが、江戸時代中期以降灘の酒
	が大消費地江戸に樽回船による海上輸送によって持ち込まれるようになり、江戸の消費量の7〜9割が上方から来た「下り
	酒」だった。
	灘の酒は近くに酒米の産地があり、六甲から流れ出る硬水の宮水、そして丹波杜氏の技術が三位一体となって生み出された。
	池田、伊丹、灘の酒造家は、近郊の労働力を求め、高い技術力と風土が育んだ忍耐力から、競って丹波杜氏を雇い入れたの
	だ。丹波杜氏は今あるほとんどの灘の銘酒を作り上げただけでなく、全国に指導に出かけ、地方の酒の原形をも作りあげた
	のである。

 


	勿論いい話ばかりではない。杜氏達の味わった苦しい労働や悲惨な歴史、藩主の厳しい年貢取り立てとそれに抵抗する農民
	の戦い、それを指導した郷土の偉人達、出稼ぎに行った夫の帰りを雪の中で待つ妻たちの孤独など、丹波の歩んできた歴史
	もここで学ぶことができる。人間が、特に圧政下の封建社会における庶民達が、苦難に耐えて生きていてくれたからこそ、
	今日我々が生きているのだと痛感する。どの時代でも、どの場所においても、そういう人たちの生き様に接するたびに、深
	く頭(こうべ)を垂れたい気持ちになる。

 

		
		■所在地  篠山市東新町 
		■駐車場台数 大型:約10台 普通:約600台(三の丸広場) 
		■料金   100円 
		■定休日  年末年始 
		■開館時間 9:00〜17:00 
		■問合先  篠山市商工観光課 079−552−1111(代) 


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