Music: Let it be

2000.9.15(金)〜 16(土)

 

西都原古墳群を見た後、ナビゲ−タ−付きの10人乗りのワゴン車で一気に延岡へ向かう。ナビはほんとに便利だ。でもたまには、「お疲れなら一曲歌いましょうか?」くらい言えばいいのに。

今回の旅は計画を間違えた。大阪からまず熊本あたりに来て、高千穂町を経由して宮崎へ向かうべきだった。高千穂に一泊した後、また高千穂峰(霧島・えびの高原)へ戻る計画にしたので(結局は寄れなかったのだが)、ほぼ一日移動に費やしてしまった勘定になる。しかし、有名な山中の「椎葉村」を通って山深い九州山地を見れたので良しとしようか。

高千穂町はほんとに山深い鄙びた町である。
こんな所に神々が降ったとは一寸思えない。
しかしそれは、一大生産地としての観点から見ればであって、神話に言うただ降りてきただけの「降臨の地」とすれば納得できない事ではない。山深い幽玄な雰囲気はそれを十分感じさせるだけの説得力を持っている。

だが神話を離れて、外来民族か或いは他地方からの民族移動を「天孫降臨」だとすれば、この地はあまりに辺境すぎる。あまりにも山の中である。
天孫ニニギの尊が、「葦原の中つ国」を治めるために降りて来るには一寸ばかり山峡すぎる。
日向に三代に渡って住んだと記紀は書いているが、高千穂から日向の国へ移ったという記述はない。とすれば、降りてきた高千穂にニニギニミコト、ウガヤフキアエズ、カンヤマトイワレビコと三代住んだと考える方が自然だろう。それにしてはここはあまりにも山の中である。ここでは東に良い国があるなどという情報も到達しないのでは、と思える程辺境だ。

 


		延岡から1時間ほど五ヶ瀬川沿いに進み、次第に山中へ入った所に高千穂町はある。民宿「神の里」は駅裏にあった。高千穂町は九州
		山脈のほぼ中央部、宮崎県の北端に位置し、熊本県、大分県に隣接している。町の中心を五ヶ瀬川が西北から南東にかけて流れており、
		名勝高千穂峡はその神秘性と雄大さで多くの観光客を集めている。気候は、平地の標高が約400メートルほどで夏・冬の気温差が大
		きく、四季の変化に富み自然環境が春の新緑、秋の紅葉をもたらし、高千穂鉄道のブームもあって鄙びた観光地として人気を博している。






		しかし我々が今回ここを訪れたのは、当然歴史研究の対象としての「高千穂」を実感する為で観光が目的ではない。これまで我々も
		ずいぶん色んな場所へ行ったが、メンバーからは、もう景勝地や観光地を見ても何も面白くないという声が強い。何らかの歴史的な
		事跡や遺物がないと、ただ漫然と観光地を巡っても面白くも何ともないと言うのだ。よしよし、みんな成長したぞ。
		高千穂の起源は古く、古代遺跡の発掘や多くの出土品等の遺物により、紀元前4000年頃から集落が作られたと推定されている。
		訪れた「天の岩戸神社」にも縄文のものと思われる「矢じりや石器類」が多数展示してあった。一方ここは、天の岩戸開きや天孫降
		臨などの日本神話にいう「高千穂」として知られている。当然町を挙げてそれをアピールしているのだが、もう一方の高千穂(霧島
		高原の高千穂の峰)も、霧島神宮にニニギの尊を祀り、ここが本家本元の「高千穂」だと主張しているのである。







		民宿で山菜とマスの塩焼きの夕食を食べていたら、おばさんが「神楽が8時までだよ。」と言うので、キープした焼酎(黒駒)を「と
		っといてや、帰ってきて飲むさかい!」と大慌てで高千穂神社へ向かった。
		高千穂地方に伝承されている神楽は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の狼藉に怒って天岩戸
		に隠れた際、岩戸の前で天鈿女命(あまのうずめのみこと)が面白おかしく踊ったのが始まりと伝えられ、古来高千穂町では、高千穂
		神社を中心にしてあちこちの部落で、それぞれの神楽を伝承して今日に至っている。
		毎年11月の末から翌年2月にかけて各地農村で、三十三番の夜神楽を奉納し、秋の実りに対する感謝と翌年の豊穣を祈願している。
		神楽の順序は行われる部落・地域によって違っているが、夜を徹して舞われるため舞手も観客も相当疲れるようだ。
		今日では、訪れる観光客を対象にして高千穂神社の境内に舞台が作られており、三十三番の内三つの神楽を奉納している。観光客は、
		500也を払って1時間ほどの神楽を楽しむわけだ。岩戸開き、イザナミ・イザナギの国生みなど、有名な神話を神楽で見ることが出
		来る。

 

 

 

宿へ戻って一升ビンでキープした地酒の焼酎(?)黒駒を飲み干した。こんな山の中では飲むしかない。4人と2人に別れて寝た。








		朝民宿を出て、一番に天の岩戸神社へ向かう。川に沿って細長く建てられた神社なので境内は狭い。天の岩戸そのものは、対岸の崖
		の中腹にあり、神社側からは行けない。神社の遙拝所から参拝するのである。しかも撮影禁止だから状況をお伝え出来ないが、撮影
		できたとしても木々に覆われて岩戸そのものは見えなかった。どう考えても、あんな崖中の岩戸では、天鈿女命(アメノウズメノミ
		コト)が舞を舞うスペースも無かろうと思われる。






		頼んで神主さんに説明をお願いした。神社の由来や日本神話を、バスガイドさんみたいな名調子で話してくれたが、それらの信憑性
		については、「まぁ、神話のことですから。・・・」と笑っていた。記紀によれば、天田力男(あまのたじからお)は、はずした岩
		戸を放り投げ、それは遠く信州戸隠の山中に落ちて、今でも戸隠村にはその時飛んできた岩戸があり地元の信仰の対象になっている
		そうである。一人500円、計3,000円の玉串料を払ったら、御神酒を飲ませてくれて、例によって餅やら箸やらが入った神袋
		を3つくれた。










		天の岩戸神社を出て高千穂峡へ行く間に櫛触(くしふる)神社があった。日本書紀では、ニニギの尊は「久志振流岳」に降臨した事
		になっているが、この高千穂町ではここがそれを祀った場所なのだろう。鹿児島の高千穂の峰はもろに「高千穂峯」という名前が付
		いているが、そもそもの降臨地は「くしふるだけ」なのである。そこから、降臨地は大分県の「久住岳」(くじゅうだけ)と言う意
		見もある。神社の脇から、神々が高天原を仰ぎ見たという「高天原遙拝所」への道が伸びている。

 

 

 

 


		「ここから仰ぎ見たゆうことは、高天原は九州の空の上にあったんかいな?」「地上だとすると北の方を見たんかねぇ。」
		「こんな所からじゃ何も見えへんで。」「昔は木ぃ無かったんとちゃいまっか。」「そやろか。」





		前日までの豪雨のせいで、五ヶ瀬川は濁っていた。今日はボートも無理だろう。
		記念写真の、きれいな高千穂と違って濁流の高千穂峡もオツなもんである。
		「それって、所謂負け惜しみいうやつですか?」と松ちゃん。




		高千穂峡を出るとき、突然松ちゃんが「鯉の洗いを食いたい」と言いだして、みんなを駐車場でさんざん待たせた。
		近所の土産物屋さんで造って貰うのをじっと待っていた。「高千穂峡」を見て「鯉の洗い」。センスのいいこと!






		高千穂峡を出て、霧島の高千穂峰を目指して一路南下する。その途中で国見峠に立ち寄る。下右は峠に立っている神武天皇像。

 





		左上、道路に松ちゃんが小さく写っている。後ろは九州山地である。


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