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古来から人々の篤い信仰を受けてきた
熊野本宮・熊野速玉神社 熊野那智大社 神と対話する熊野三山

新宮・熊野速玉神社







熊野速玉(はやたま)神社
	本宮・那智とともに熊野三山のひとつに数えられ、かっては熊野権現の名で一大宗教王国を構成していた。神倉山にまつられていた神を現在の社地に移し、
	それ以来、神倉山の元宮に対し、ここを新宮と呼んだという。現在の社殿は明治16年9月に炎上しその後再建されたものである。全国にある3,000余り
	の熊野神社の総本社。境内には、1,200点を超える国宝が保管展示されている「神宝館」と、国指定天然記念物の「なぎ」の大木がある。新宮駅から歩いて
	15分ほど。







			熊野へ参らむと思えども 徒歩より参れば道通し
		すぐれて山きびし馬にて参れば 苦行ならず空より参らむ羽賜べ若王子
									『梁塵秘抄』



	古来より、いにしえ人が空を飛んででも行きたいと憧れてやまなかった熊野。都から淀川を下り、大阪から和歌山へ南下し熊野三山へは約1ケ
	月の道程で、この参詣の様子は「蟻の熊野詣で」と言われた。まさに、難行・苦行の旅の果てに人々を待っているのが熊野の神々であった。
	それほどまでに熊野大権現の力は絶大であり、この地に詣でて神々と対話するのが人々の信仰であった。











	熊野詣での起源は一体いつ頃なのであろうか? この三山が、天皇家歴代の参拝所となるからには相当の理由がなければなるまい。山深い、難行の
	果てにたどり着くような場所が、一体いかなる理由で人々を、天皇を駆り立てたのか。熊野とは、何か古代史の大きな謎を秘めた場所である。





 

 

 

 



	熊野はどこへ行っても八咫烏(やたがらす)である。本宮、速玉、那智大社のどこに行ってもシンボルマークとして鎮座している。八咫烏が地元
	熊野の豪族だったとしたら、どうして見も知らぬ西から来た「神武天皇」の一団に味方したのだろうか? 
	神倭伊波礼毘古の命(かんやまといわれびこのみこと=神武天皇)の軍団はそれほど強大だったのか。それとも八咫烏は即座に神武を神の子と認め
	軍門に下ったのであろうか? 私には、前もって北九州の高天原から偵察に来て近畿に住み着いていた、高天原からの東征準備委員会の一員の
	ような気がしてしようがない。



 





佐藤春夫記念館
	明治25年(1892)4月9日、新宮市船町の医家に生まれた熊野を代表する文豪で、強い郷愁をこめて生涯をうたいつづけた人。浪漫的・耽美的な作品は、
	近代的憂愁色濃く、文壇の大御所・詩聖と呼ばれた。東京にあった佐藤邸を移築・復元した館内には、その偉業を後世に伝えるため、自筆原稿や生活
	用具などが多く展示されている。駅から15分。速玉神社の脇にある。

 



何かやたら佐藤春夫の句碑や歌碑があるなと思ったら、彼はここ新宮の生まれだった。神社の境内に記念館まであった。

 

 



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