Music: Smoke gets in your eyes
向日市文化資料館
向日町競輪場付近で物集女街道と西国街道が合流している。その手前に向日市文化資料館の建物が見える。図書館と一緒に
なった建物で右と左に別れている。資料館は昭和59年(1984)にオープンした。館内には、長岡京を始めとする乙訓(お
とくに)地方の歴史や文化が、文化財分布模型などとともに展示されているが、展示物の中心は、発掘調査によって出土し
た長岡京跡の遺物で占められている。年に1度特別展が開かれており、企画展や各種講演会も行われているようだ。ボラン
ティアのおじさんがいて、この日も長岡京の解説を本人が一番楽しそうに解説してくれた。
向日市の概要
向日市の歴史と文化は、原始・古代にさかのほって古く、なかでも延暦3年(784)からは、長岡京の都として日本の政治・
文化の中心地となって栄え、歴史の表舞台で光ぼうを放ちました。そして10年後の延暦13年(794)にその地位を平安京に譲
りました。中世に入ると、各地に荘園が登場し、江戸時代には京都所司代の管轄下に入り、公卿、社寺の領地となりました。
京都と西宮を結ぶ西国街道沿いには商店が立ち並ぴ、乙訓地方の商業・文化の中心地として栄えました。明治 22年の市町村
制の施行により、物集女、寺戸、森本、鶏冠井、上植野の各村と向日町が合併して向日町となりました。昭和 30年代後半が
ら、京阪神地区のベッドタウンとして住宅建設が進み、近郊住宅都市へと発展。昭和 47年10月1日、京都府下9番目の都市と
して市制を施行し、向日市が誕生しました。近年、ようやく人口の急増も沈静化し、新旧住民の融和と連帯を育む コミュニ
ティ施策をはじめ、文化振興策や 高齢化社会に対応した施策を推進するとともに、公共下水道の普及促進など、快適な都市
環境づくりを総合的に推進し、福祉・文化の香り高い定住都市として成長を続けています。
【向日市案内パンフレットより】
向日市の歴史
奈良朝70年の咲き匂う仏教文化の蹉跌から平安遷都の間わずか10年(延暦3年〜13年:783〜794)、桓武天皇が水陸
のの便の最も良い本市を中心として、ほぼ平安京と同じ型の「長岡京」を造り政治文化の中心となって栄えた。中世には、
応仁の乱の際、物集女・寺戸の人々が物集女氏、野田氏らに率いられて山崎の社衆、今里の能勢氏らと連合して中央の足利、
細川氏らとも連絡を取り、鶏冠井、勝竜寺、上里、井ノ内勢と相争い、天下動乱のの渦中にあった。江戸時代になると、京
都の近郊として京都所司代の管轄下に入り、官家、公卿、社寺の領地となり、乙訓地区の経済の中心となり、先進農業地帯
として発展した。
現在は、終戦の混乱期からようやく立ち直った日本経済の急激な成長に伴い、昭和30年大後半から大都市への人口集中か
ら周辺都市への住宅ラッシュとなり京都、大阪の衛星都市となっている。【向日市発行:向日市案内パンフレットより】
ここに掲載した長岡京関連の資料は、向日市文化資料館発行の「常設展示目録」及び「速報展2000−20世紀の考古学−」
小冊子から転載しました。記して感謝を表明します。
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