SOUND:Penny Lane
三輪神社
山辺の道を行く−LAST/11





三輪神社



		三輪山の麓を、大神神社目指して歩いていくと多くの摂社(神社の分社)に出会う。三輪山自体は磐座があちこちにあり、随所に
		これらを祀った摂社が建てられている。





		麓の一角に、大和三山(耳成山・香具山・畝傍山)が見渡せる高台があり展望台となっているが、皆知らないのか人は少ない。
		大げさでなく、ここから見た大和盆地はとてもこの世のものとは思えないような光景だった。
		まるで絵のようである。雲の間から陽光が三山に降り注いでいる。
		この瞬間の光景は、まるで私が来るのを知って遙か遠くの始祖達が歓迎の光をかざしてくれたような気にさえなった。


崇高なと言うのはこういう光景のためにある言葉だろう。しばらく佇んだまま動けなかった。

写真ではあまりわからないが、山や大地は青みがかり、陽光は金色、雲の下部は薄い桃色に染まっていた。






今年は改修中の史跡が多い。大神(おおみわ)神社も平成の大修理中。



ここまで来ると人が多い。桜井まで歩く人、三輪駅を目指す人、石上神宮方面へ歩く人達で一杯だった。



約20年ぶりに山辺の道を歩いた。
大和三山を岡の上から眺めていると、
「邪馬台国が何処であろうと、別にいいじゃねぇか、そんなもん」
という気になる。
倭は国のまほろば 畳づく青垣 山籠れる 倭しうるわし
歳をくったと笑わば笑え、この道を歩いているとほんとにホッとする。


		私は九州出身者である。邪馬台国は九州にあったと思っている。地元びいきではなく、大和説に比べて合理性が高いと思っている
		からなのだが、しかし邪馬台国以後は、東征によるものかどうかは関係なく、国の実権はあきらかに大和地方に移ったと考える。
		大和の、古墳時代の豪族達の中から支配者が出現し、今の天皇家の体制も確立したと思う。
		学問の分野は日々更新されている。未発掘の古墳も、やがていつかは研究の対象としてその内部を我々に明らかにしてくれるだろ
		うし、考古学や歴史学・民族学等の分野もますます洗練されて、今後より一層明瞭に古代を浮き上がらせてくれるはずだ。

		山辺の道を闊歩していた豪族達は一体誰だったのか、それらがはっきりするのはそんなに遠い将来の話ではあるまい。

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