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天理市立黒塚古墳展示館
歴史倶楽部第76回例会
黒塚古墳はただいま公園化に向けての整備中で、墳墓内には立ち入り禁止だった。しかしすぐ側に、新しく「天理市立黒塚
古墳展示館」が出来ていて、出土した鏡群(レプリカ)や石室内の実物大復元模型が製作されていていた。近辺の古墳の発
掘状況やいろんな情報をパネルにしたものも多数展示されていて、まさしく展示館だった。
<黒塚古墳>
全長約130m、後円部径約72m、後円部高さ約11m、前方部高さ約6mの前方後円墳。3世紀後半から4世紀前半の
古墳時代前期前半頃の築造と考えられている。大量の鉄製刀剣類や、U字形の鉄製品とともに、34枚の鏡(三角縁神獣鏡
33面、画文帯神獣鏡1面)が出土した。後円部中央に、墳丘主軸に直行して南北方向に竪穴式石室が造られていた。石室
は幅約 1.3〜0.9m、高さ約1.7m、長さ約8.3mで、古墳の規模から比べて大きな石室と言える。石室の大きさ、
副葬品の内容と数から推測できる被埋葬者は、当時この辺りで権力の中枢か、それに近い地位にいた人物人だと考えられる。
埴輪、葺き石などは確認されていないが、周濠だったと考えられる池が現存している。付近には崇神天皇陵・景行天皇陵と
いった巨大古墳や、多数の鏡が見つかっている天神山古墳などがあり、また約2km南には卑弥呼の墓と言われる箸墓(は
しはか)古墳がある。
この古墳の特徴は、
・盗難をまぬがれ、石室、鏡などの副葬品もほぼ完全な状態で残っていた。
・国内最多の三角縁神獣鏡33枚が出土。鏡に「師出洛陽」銘がある。椿井大塚古墳と同笵と思える鏡がある。
・「三角縁神人竜虎鏡」2形式をあわせ持つ新式の鏡があり、画文帯神獣鏡も特殊なタイプ。
・吉備地方と石室工法が類似する。
・木棺中央部に大量の水銀朱が塗られていた。
・出土した土器は「壺型」、桜井茶臼山古墳と同種のものと思われる。画文帯神獣鏡も桜井茶臼山古墳に同種のもの有。
・高級(高密度)な絹布で包まれた、甲冑の小札が出土。
・「U字形鉄製品」と呼ばれる、用途不明の鉄製用具。
等々である。
入り口を入るとすぐの床下に、山辺の道周辺の航空写真がはめ込んであった。それぞれの古墳の位置関係が一目でわかる。
嬉しいことに写真撮影自由だった。「どうぞどうぞ」というオジさんの声に甘えてバチャバチャ写しまくった。
上のU字形、下のY字形鉄製品の用途はまだ判明していないが、Y字形のほうは王杖の先に付けた飾りではないかとの説が有力。
竪穴式石室が復元してあるが、実際に見たのに比べれば、若干礫(小石)が少ないようだ、
板石と人の頭ほどの河原石を「合掌型」に積み上げた特異な構造の竪穴式石室(長さ8.3m)が後円部で発見され石室内
には長さは約6.2mの割竹形木棺が納められていたと推定され、木棺を置いた粘土床一面が水銀朱の層(中央付近で厚さ
約5cm)で赤く染まっていた。三角縁神獣鏡は石室の東西と北側で出土。すべて棺外で、西側の16面は1面を除いて鏡
面を内側にして石室壁面に立て掛けた状態だった。配置にばらつきのある東側の15面も埋納当初は同じような状態だった
と推測される。
鏡はいずれもほぼ完形で、直径22〜24.5cm。その内の3面の鏡式が判明。鏡背には「張氏作」など、鋳造した工人
の名前が刻まれていた。3面とも国内各地に同じ鋳型で作った同範鏡があり、1面の三神五獣鏡は静岡や兵庫、岡山県など
計8面の兄弟となった。北側にあった波文帯盤龍鏡の周辺で漆の膜が検出され、この鏡を乗せる板や木箱があった可能性も
ある。棺内からは、三角縁神獣鏡よりやや古い時代の鏡である画文帯神獣鏡一面が立った状態で出土した。文様などから中
国製で、魔よけの意味を持つ水銀朱の層がこの鏡を境に南側で濃くなっていることから、調査委員会では画文帯神獣鏡付近
が遺骸の頭部にあたる可能性が強いとしている。
画文帯神獣鏡は、全国でも10面ほどしか見つかっていないタイプである。1月11日、京都大学人文科学研究所の岡村秀
典助教授の鑑定で明らかになった。大和(おおやまと)古墳群では、同タイプの画文帯神獣鏡が大和天神山古墳(奈良県天理
市)と桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市)の2ヵ所で確認されている。黒塚古墳の画文帯神獣鏡は木棺を安置していた粘土床
の中央付近で一面見つかった。棺外を守るように配列された三角縁神獣鏡とは区別して扱われており、埋納に特別な意味が
あったと推測されている。直径13.5cmと画文帯神獣鏡の中では小ぶりで薄く、中央にある鈕(ちゅう)の周囲に乳(に
ゅう)と呼ばれる小さな突起が4つ配置されていた。突起にはいずれも竜の文様がからみ、周囲を半円と方形の文様帯がめ
ぐっている。この復元模型の正面から見たら、画文帯神獣鏡は鏡面をこちらに向けているので、ここでは下の望遠鏡から覗
くようになっている。焦点がちょうど画文帯神獣鏡にあたっており、その模様がよく見える。
これは、ちかくのホケノ山古墳から出土したもの(下)とそっくりである。大きさはホケノ山
の方がだいぶ大きい。私は、このレプリカを橿原考古学研究所から7,000円で買った。
上右は2階の展示室から見た石室復元。なるほど、古墳の大きさからしたらこの石室はデカい。
2階には出土した鏡が全部並べられているが、みんなレプリカである。本物は処理を施して保管されているそうだ。
「三角縁神獣鏡」
三角縁神獣鏡とは、縁の断面が三角形で、背中側に神仙思想に基づく東王父や西王母などの神像と霊獣の文様を持つ銅鏡の
ことである。「魏志倭人伝」に記された、魏が卑弥呼の使者に銅鏡百枚を下賜した景初3(239)年の年号を入れたものがあ
り、三角縁神獣鏡をこの銅鏡百枚」に当てる説がある。卑弥呼が保管した後、大和政権によって地方の豪族に配布されたと
の説があり、邪馬台国畿内説の有力な根拠となっているが、国内で約500面も見つかっているのに対して、中国では1面
も出土していないことから国産鏡との説も根強く、論議が続いている事は周知のごとくである。全国で500面近く見つか
っている三角縁神獣鏡には、同じ文様を持つ兄弟鏡(同笵鏡)が全国に分布している。黒塚古墳の場合、宮崎県から群馬県
まで、全国39ヵ所に兄弟鏡を持つことが分かっている。
ここに展示されているレプリカを作った鋳型も、そのまま展示されている。
三角縁神獣鏡についての「魏鏡説」と「国産説」は、今なお活発な論争が続いており、そのどちらに与するかによって、そ
の後の古代史観が大きく異なってくる。前者によれば、魏王朝が邪馬台国の朝貢に対して与えた鏡である可能性が濃厚で、
邪馬台国はこの鏡が多く出土する近畿圏にあったことになり、邪馬台国は大和政権へ連続的に展開していったという構図に
なる。後者だと卑弥呼の鏡は三角縁神獣鏡ではないという事になり、邪馬台国を近畿とは特定できないばかりか、その前代
の漢鏡が多く出土する北九州地方が、邪馬台国の有力な候補地となるのである。黒塚古墳の今回の発掘で発掘現場の責任者
であった河上邦彦氏は、三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではないとし、三角縁神獣鏡は葬具であるとの見解である。石野博信氏
も「三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではない。」と明言し、中国へ鏡の研究に行ったことのある滋賀県立大学の菅谷文則教授も、
三角縁神獣鏡は国産鏡であるとの見解である。
黒塚古墳のその後の調査で、鏡などを運び込むためとみられる通路の跡が見つかった。これまでに、通路跡は国内で見つか
った例が無く、古墳の築造工程を知る上で、貴重な発見という。通路の跡は、黒塚古墳石室の西側で発見。通路の幅は、広
いところで7m、石室に近づくにつれて狭くなっていて、後に、古墳の排水に作り変えられていた。黒塚古墳のような竪穴
式石室の場合、これまでは棺、鏡、武器などの副葬品を石室の上部から入れたと考えられていたが、今回の発見で、石室に
物を運び入れ易いように、通路を作っていたことが、初めて明らかにされた。黒塚古墳は、このことから非常に計画的に建
造されたことが窺える。
展示館を出た後のすぐ側に立っていた説明看板。これによればこの辺りは、縄文時代から江戸時代にわたっての複合遺跡だそうだ。
黒塚古墳の鏡出土状況や、鏡の拡大写真を見る。
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●黒塚古墳出土鏡(画文帯神獣鏡 & 三角縁神獣鏡)
★【出土時の状態】 黒塚古墳の竪穴式石室内部と遺物の出土状況【45k,51k】
★【出土時の状態】 棺内の画文帯神獣鏡(33号鏡)。立った状態で出土。経13.5cmで他の三角縁神獣鏡より一回り小さい。【36K】
★【出土時の状態】 33号鏡を上部から見た所。棺の底は朱で真っ赤に染まっていた。【91K】
★【出土時の状態】 木棺の北東部から出た18、19、20,21号鏡。21号鏡は奥に上部だけ見えている。【127K】
★【出土時の状態】 木棺の頭部を囲むように並んでいた8、9、10,11号鏡。【73K】
★【出土時の状態】 石室の北端から出土した17号鏡。(波文帯盤龍鏡)【96K】
★【出土時の状態】 他の鏡より数日遅れて見つかった、最後の(34枚目)三角縁神獣鏡。(34号鏡)【84K】
★【出土時の状態】 出土直後の鏡群。【72K】
★三角縁神獣鏡(3号鏡)【81k】
★三角縁神獣鏡(7号鏡)【98K】
★三角縁神獣鏡(19号鏡)【87K、121k】
★三角縁神獣鏡(20号鏡)【102k】
★画文帯神獣鏡(33号鏡)【96k】
★銘文鏡部分。(19号鏡銘部分。画文体鏡銘部分。)【69k、55k】
★鏡神画部分。(19号鏡部分。8号鏡部分。)【88k、76k】
★銘文鏡部分。(20号鏡銘部分。)「同出徐州」の文字が見える。【123k】
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