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古代吉備王国の旅 岩屋寺・鬼の差し上げ岩




 

 






		鬼ノ城の近くには「鬼の釜」や温羅が住んでいたと言われる「岩屋洞窟」がある。鬼の城の北側に「岩屋」はある。鬼ノ城の鬼が、
		岩をさし上げて組み合わせ住んだと言うところで、その名のとおり巨岩が組み合わされて洞窟になっている。平安時代には山上仏
		教の盛んだった所だそうで、人里離れた奥地に「岩屋寺」という寺があった。千年以上前の人々がこの「鬼の岩屋」を修行の場に
		選んでいたのだろう。桃太郎伝説の成立とともに、この人知を超えた不思議な巨石群が、「鬼の栖」と伝承されるようになったも
		のだろうが、見れば見るほど、鬼の力でなければよもやこうまでは組み合わさるまいと思わせる。

 

 


		巨石遺跡には、男性器・女性器を表現したものがけっこう多い。上右の岩にしても自然に出来たものか、それとも誰かが削ってこ
		ういう形に仕上げたのかで議論が分かれた。後者の意見の方が多かったようだが、私もこれは削ったものだと思う。岩の左側には
		観音様か如来様か、仏像を刻んだような跡もあったし、いにしへの近在者たちが、遊び心かそれとも信仰心からか、暇に任せて刻
		んだものに違いない。誰かが中へ入り込んで「なつかしいなぁ」とか言っていた。






		いくら鬼でも、ここに寝ていて岩が落ちてきたら間違いなく即死だろう。そんな所を好んで栖にする訳がないと思ってしまう。
		この巨石といい、見てきた鬼ノ城といい、吉備高原には巨石がゴロゴロしている。鬼ノ城を築く気になった当時の人々も、城壁に
		する岩が豊富だったからあそこに城を築こうという気になったのではないか。それにしてもあの城(鬼ノ城)は、とても唐・新羅
		の連合軍を迎え撃つためとは言えないような気がする。どうしてあんな山頂に築く必要があるのか。立て籠もっても、連合軍が知
		らん顔して奈良を目指したら何の意味もない。あの城は何か違う目的のため誰かがあそこに築造したものだという気がして仕方が
		ない。





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