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古代吉備王国の旅 2004.7.3〜4 歴史倶楽部第85回例会 岡山県総社市・真備町・倉敷市・岡山市









		7月3日、大阪は千里中央に8;30集合して、東京から参加の河原さんもいれて、服部、河内、栗本、西本、橋本、錦織の8人
		で吉備の旅がスタート。8人乗りレンタカーで、対馬以来いまや我が歴史倶楽部の専属ドライバーのような感がある河内さんの運
		転で、いざ中国自動車道へ。それにしてもお世辞じゃないが、河内さんの運転は旨い。初代専属ドライバーだった平さんは、いま
		やタクシーの運転手というプロになってしまったが、河内さんも元自動車を売っていただけあって、なかなかの腕前だ。


中国縦貫道で入ったSAで。吉備路の旅への始まりだ。

		今回の例会は、古代「吉備王国」を確かめる旅である。吉備は古代から記紀にも多く登場し、人名にも吉備の何とか、吉備の誰そ
		れと言う名前が頻繁に登場する。大和朝廷と古くから関係が深く、古代豪族であった吉備勢力が大和朝廷と争って負けた、或いは、
		古代吉備勢力が大和へ入り大和朝廷を打ち立てたなどという説が囁かれている。全国4位と9位の大きさを持つ、巨大な造山古墳、
		作山古墳(いずれも「つくりやま」と呼ぶ)や、附近に点在する多くの古墳群、鬼ノ城(きのじょう)と呼ばれる広大な朝鮮式山
		城の跡などを見て回ると、確かにこの地方がただ者ではないと分かる。おそらく、大和朝廷の成立にも何か大きな影響を与えたで
		あろうという推測が成り立つ。

		私は何年か前の帰省の折、wife&倅で「吉備風土記の丘」を訪ねたことがあるが、その時見逃した「鬼ノ城」や「吉備真備の生地」
		を今回訪問できたのは嬉しかった。また吉備王国誕生とも大いに関係があると思われる「吉備津彦神社」や「吉備津神社」の成立、
		桃太郎伝説などもまた、吉備に対する思いを新たにしてくれて、一層「吉備王国の謎」への挑戦に意欲が湧くと言うものだ。




		そもそも吉備とは、岡山県全体と広島県東半部を中心とした地域の古代の呼び名で、日本書紀や古事記以来用いられている地名で
		ある。その大本が穀物の黍(きび)から来ているのかどうかはわからないが、律令制度の地域区分では備前・備中・備後・美作の
		四国に分かれる。
		記紀には、吉備津彦と総称される人物が中央政権から派遣されて、古代吉備地方を統治したこと、また、その後のこの地方の豪族
		が、吉備津彦の子孫であるとの伝承を記録している。実際、吉備が古代に勢力が強かったことは、造山古墳やこうもり塚古墳の横
		穴式石室を見ればわかるし、こうした古代の吉備の力は米づくりのほか、製鉄・製塩・瀬戸内海上交通に支えられていたと考えら
		れる。日本書紀の雄略紀にみえる吉備氏反乱の伝承も、吉備勢力の強さを反映したものと見て良い。




		何かと話題を振りまいている厚生年金の施設「サンピア」。「(厚生年金が)今の状態では、もう早晩この施設はなくなるで。」
		という声を受けて、無くなる前にもう一度泊まっとこうと今回の宿に決めた。というのは嘘で、実際は会社の厚生施設を通じても
		っといい民間のホテルを一人3,000円でと目論んだのだが、申請書に「いとこ会」と記入してしまったために、「いとこでは
		利用できません」と断わられてしまったのが真相だ。仕方なくここにしたのだが、それでも一人1万1,500円で1泊2食付き
		(酒代は別)で、結構な料理が出て、部屋も綺麗でホテル並とくれば、これはこれでいい施設なのだが、軒並み赤字で我々国民が
		その株主だとくれば、喜んでばかりはいられない。将来貰う年金を今浪費していると思うと、こんな施設はいらんわいという気に
		もなる。我々はこの施設(サンピア)を、青森と鹿児島でも利用したが、いずれも綺麗で一流ホテル並の設備を備えた宿泊施設だ
		った。思いは複雑ではある。









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