Music: Acoss the Universe
鴨都波神社
2004.May.1 歴史倶楽部第83回例会



 





	<鴨都波(かもつば)神社>

	高鴨神社、鴨山口神社と並んで、葛城3鴨神社の一つ。葛城川と柳田川の両河川の合流地点に鎮座する古社で、
	ずっと南にある高鴨神社を「上鴨社」というのに対して、この神社は「下鴨社」と呼ばれ、京都の「上賀茂神
	社」と「下賀茂神社」の関係に似ている。京都の加茂一族もこの地から出たとされている。全国の鴨(加茂)
	一族の発祥の地とも言われ、有名な役行者も、元々「加茂の役(え)の君」という名前をもっており、ここ葛
	城が出生地である。(前回「巨勢の道」散策、参照)
	祭神は、鴨都味波八重事代主命(かもつみはやえことしろぬしのみこと)と下照比売命である。創建は明らかで
	はないが、延喜式の名神大社になっている。ある記録によれば、太田田根彦の孫にあたる大賀茂都美命が崇神
	天皇の勅に奉じて葛城の賀茂に事代主命を奉斎し、賀茂の氏を賜ったといい、大神神社の別宮とされている。

 

 


	都味波八重事代主命とは何者なのか。「御所市史」には、鴨都味波(かもつみは)のツミハはミヅハの誤りで、
	正しくは水神の弥都波能売(みづはのめ)神であり、後に出雲から迎えられた八重事代主命と二神を合わせた
	とされている。しかし、鳥越憲三郎氏は、その著「神々と天皇の間」(朝日新聞社)の中で、鴨都味波の「鴨
	都」は「鴨の」であり、「味波」は「水端」すなわち水辺を意味するとして、字のまま率直に「鴨の水辺の」
	と解すべきだと言う。また「八重事代主命」についても、まず下の「代主」は「田主」すなわち田の神のこと
	であるとし、さらに「八重事」の「事」は「事始め・事祭」のように折り目のことで、八重事で「しばしば折
	り目ごとに祀られる」の意味に解されている。鳥越氏の解釈が正しければ、この神の名は「鴨の水辺でしばし
	ば折り目ごとに祀られる田の神」を意味することになる。 
	



	記紀の国譲りの神話では、大国主神が国譲りを決意する時、我が子の事代主神の助言を聞いたたほどの重要な
	役割をつとめている。ところが、そのような重要な人物にもかかわらず、733年に編纂されたという「出雲
	国風土記」にはその名前さえ出現しない。そこから、この神はもともと鴨族の祭神であり、出雲の人々の信仰
	の対象になっていなかった、という説や、記紀神話の中で、この神は大国主神の子として創造され、本来は出
	雲にはいなかったという説などがあるようだ。






	境内には薬の神様である少彦名命(すくなひこのみこと)や、その他の神々を祭る小さな社もある。この境内
	一帯からは弥生時代の住居跡や土器が発見され、鴨都波遺跡と呼ばれている。してみると、古代からここに有
	力な豪族がいたか、或いは弥生時代の神々が祀られていた想像もできる。現に、国道に面したところにあった
	由緒書には堂々とそう書かれていた。





境内は広かった。3鴨神社の中では一番広いだろう。神社らしい神社とでも言うか。



 


	拝殿に向かって左側の森の中を抜ける小道を辿るとすぐ、国道24号線に出る。右へ5分ほど歩くと近鉄御所
	駅であるが、この神社前のバス停にいたおばさんによれば、ここから「かもきみの湯」行きのバスがすぐ来る
	というので、それを待って温泉へ。しかし循環バスだったので、市内をあちこち回って、10分くらい行きそ
	うな距離を40分もかかってしまった。しかし温泉は最高だった。


かもきみの湯


 


	小川さんが、internetで御所市にある温泉を見つけてきた。その名もなんと「かもきみの湯」である。我々も
	そうとうこういうスパー温泉巡りをしたが、お世辞ではなくここは最高級と言っても言い温泉だった。まだ新
	しいからだろうか、湯船も広く綺麗で他種類に及び、レストランも広くてメニューの種類も多かった。
	バスもすぐ前から出ているし、いわゆる「温泉場」の雰囲気はまるでない。きれいな一流ホテルで湯に入った
	ような心地よさだった。今日も結構あるいたので、疲れた足も喜んでいた。しかも入浴料金500円。勿論、
	露天風呂も打たせ湯もある。さらに嬉しい事に、ちょっと時間は掛かるが、御所駅から御所市の循環バスが無
	料でこの温泉まで運んでくれる。





皆様お疲れ様でした。いやぁ、今日の温泉は最高でしたね。ここは是非もう一度来てみたいですね。また次回も宜しく。



邪馬台国大研究・ホームページ / 歴史倶楽部例会 /himiko@zeue.eonet.ne.jp