−第82回例会案内− 今回は雨天決行です! テーマ : その昔宮人たちの狩り場として、繰り広げられた王朝絵巻ロマン。北河内のさらに奥に息づく古代の里、星の街、 大阪府交野市。咲き乱れる桜の乱舞の中で、今回も温泉付き。 またやみむ かたのの みのの 桜狩り 花の雪散る 春のあけぼの「新古今和歌集」 場所 : 大阪府交野市 コース : JR河内磐船→船戸→交野ドーム→今井→車塚古墳→大畑古墳→住吉神社→創価の桜→塚穴古墳→かいがけ道 → 傍示→トウショウヶ岳→南山→鍋塚→森雷塚古墳→天田神社 →JR河内磐船 約7km 日時 : 3月28日(日) AM10:00 − PM3:00(予定) 集合場所 : AM10:00 JR河内磐船駅前(雨天決行)改札口は1ヶ所だけです。 (JR京橋9:39発で、河内磐船駅に9:58分に着きます。19分。) 費用概算 : 交通費(京橋から、往復580円)+入浴料(800円程度)+資料代(500円) 今回の散策は、交野市の村田さんが資料を用意してくれています。 当日の散策コースの案内(平田さん作成)と、交野市文化財課作成の下記の2種類。 1.交野市史跡ガイドマップ @100円 2.ジュニア向け 文化財ガイドブック @300円 (大昔から江戸時代まで) よって、資料代としてコピー代金と合わせて当日@500円が必要です。 持参する物: 弁当、雨具、替え上下着。入浴セット。(一応、防寒具もお忘れ無く。) 散策コース: 1.車塚古墳(現在交野高校)5〜6世紀 2.大畑古墳 交野で一番新しい古墳 7世紀頃 3.塚穴古墳 交野で現存する古墳の一つ、横穴式古墳 6世紀 4.南山弥生遺跡 鍋塚古墳に隣接している 215m 5.鍋塚古墳 前方後方墳 4世紀初め 交野最古の古墳 200m 6.森雷塚古墳 4世紀 卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳と同じ バチ型古墳 全長106m 前方後円墳 平成16年3月12日
今回の例会は、大阪府交野市である。NETで知り合った交野市の村田さんを通じて、「交野古文化同好会」の平田さんが一日案内 してくれる事になった。京橋からJR学研都市線(旧片町線)で「河内磐船駅」まで。今回も30分ほど前に着いた。駅前で買 い物をしている間に、村田さんが駅で待っててくれた。平田さんの他にも、「交野古文化同好会」の方か、オバサンが3人と、 オジサンが2人が同行してくれたが、オジサン2人は途中でいなくなってしまった。
森(もり) 交野地方は、古代、石清水八幡宮の荘園があったとされている。天暦3年(949)のことで三宅山一帯1400町歩にわたる広大 なものであったようだ。津田山から交野山、竜王山、星田の山々までその範囲に入り、年貢を収納する倉庫、荘園管理にあたる 役人の住宅地、荘司(荘園の管理人)が農民を使って耕作する田(佃:つくだ)などが荘園内にあった。 池田麗一著「須弥寺沿革誌」に、荘司として石清水八幡宮から派遣されてきた役人の名前が森に伝わっていると書かれている。 それによると延久年間(1069〜1074)、森宮内少輔という人が森に住んでいた。彼は森にあった「警固観音」が大変荒れ果てて いるのを見て、私財を投じて再興したので、人々は彼の徳を称え、それまで「無垢根(むくね)」と呼んでいた村の名前を「森」 と呼ぶようになった。「むくね」とは、「椋(むく)の木」の意味であるという。付近に椋の大木があったので、その周囲に発 展した村ということのようである。上のモニュメントはそれを説明したもので、駅前広場の角に立っている。駅を中心にした辺 り一帯が「森」らしい。
枚方市方面を望む。右下が交野ドーム。線で示された所に、現在は道路が走っている。交野ドームは綜合運動施設や多目的ホー ル等々を備えた雨天対応のドームである。平田さんは、その横に建った方形の建物と併せて「平成の前方後円墳」と呼んでいた。
この地方は、昔から「かたの」と言われていたようだ。「交野」の名称は、和名抄に「加多乃」と見え、その名称の起源につい ては、丘陵と平地が交迭するからとも言い、また、淀川流域の低地から見ると丘陵上の平地とも見えるので「肩野」と称せられ たとも言うが、他の地域と同様に定かではない。本来、「かたの」地方として通っていたが、一時期「こうの」村と呼ばれた時 期もあった。 交野に人が住み始めたのは、今からおよそ2万年前頃とされ、縄文時代の遺跡として「神宮寺遺跡」、弥生時代の遺跡では「南 山遺跡」、「星田坊龍遺跡」などがある。その後、交野物部氏の祖先伊香色雄命(いかしこおのみこと)が、天野川流域に住み、 農耕を広めて古墳を築いたとか、交野忌寸(かたのいみき)の祖、漢人庄員が一族を率いて帰化し、倉治の山麓に住みつき、機 織の技術を伝えたという話などが残っている。また、今日は訪れなかったが、「磐船神社」の由来も有名である。ニニギの尊が 天孫降臨に際して使用した「天の磐船」がご神体となっている。勿論大岩をその神話に結びつけて信仰されてきたのだろうが、 写真で見ても大岩である。次回は是非見てみたいものだ。 尚、このHPの解説、発掘時の資料写真等々は、当日村田さん達が用意してくれていた、交野市教育委員会発行の「ジュニア文 化財ガイドブック」交野市文化財事業団発行の「交野市案内パンフレット」および、平田さんが準備・製作してくれた資料から 転載した。記して深く感謝したい。