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唐古・鍵 考古学ミュージアム

唐古・鍵遺跡から天理へ 奈良県・田原本町 歴史倶楽部第95回例会 2005.4.3(日)








 


	以前は田原本町中央体育館の一室に、「唐古・鍵遺跡資料室」として小さな資料館があった。出土遺物が所狭しと並べ
	られていて、説明のおじさんも親切で色々と面白い話を沢山聞かせてくれたものだ。国指定遺跡となって資金的に余裕
	が出来たのだろう、今回訪れた資料館は、生涯学習センターの一角ながら、綺麗な部屋にビジュアルな配列で要領よく
	まとめられていた。











大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和し うるわし

 

 

今回も、おそらくはボランティアと思われるオジサンが、唐古・鍵遺跡について親切に説明してくれた。

 

ミュージアムの床下には、前回出土した大型建物の柱がそのまま展示してある。私は現地説明会でまだ埋まったままのこれを見た。

 

 



 

遺跡発掘の歴史も学べる。発掘に使用された各種の道具類も展示されていた。

 

 

 


	近畿圏においては、この遺跡は有数の弥生遺跡である。これだけの規模と生活の痕跡を持った遺跡は今の所近畿圏には
	存在しないと言ってもいいかもしれない。大阪府和泉市の「池上曽根遺跡」も結構大規模な弥生遺跡であるが、ここの
	出土物に比べたらだいぶ見劣りがする。弥生時代のあらゆる遺物が出土していると言っても過言ではない。
	私は邪馬台国九州説論者だが、もし邪馬台国が近畿にあったとしたら、それは桜井市三輪神社近くの巻向遺跡などでは
	なくて、こここそ邪馬台国にふさわしい。それほどの規模と生活濃度を持っているし、学術的にも貴重な資料が鈴なり
	である。





 



 

 

 





 

 

光ってよく見えないが、これが渦巻き状の屋根の突起体が描かれた土器の復元である。この遺跡は絵画土器の出土数では全国一を誇る。

 

 




	上右端の扉状の遺物は、同様のものが鳥取県の「青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)」からも出土しているし、
	佐賀県の吉野ヶ里でも、私の生まれ故郷の福岡県甘木市(まもなく朝倉市となる。)「平塚川添遺跡」からも出土して
	いる。窓か扉かはよくわからないが、何かの仕切に使われたのは間違いない。
	概して、人間の同時代性というものにはホントに驚かされる。勿論この遺跡からも各地の土器等が出土しているので、
	各地との交流があったことは自明で、情報も或程度行き交っていたのかも知れないが、それにしても各地で同じような
	土器を作り、同じような建物を建て、同じようなものを食べているのには、強く「同時代性」というものを感ぜざるを
	得ない。
	ロンドン郊外のストーンサークルは、我が国の時代区分で言えば、縄文早期から前期にあたる遺跡だと私は思っている
	が、ここから出土している土器群は、縄文土器と非常に似通っている。当然その時代、英国南西部に住んでいた石器人
	たちが極東の縄文人達と交流があったわけはないが、思考体系は同じようなものだったのではないかと思う。

	してみると、人間には同時代性というものがあり、みな等しく進化発展を遂げてきたもののように思える。技術的に若
	干の後先(あとさき)は勿論ある。しかし、日本各地で出土する縄文土器、弥生の木工農具類は、驚くほど類似してい
	るし、金属器が伝来して、伝播・改良考案されると同じように各地に普及していく。火薬・印刷の発明発展も、歩調を
	合わせたように、世界各地で発生する。「歴史には同時代性がある。」のである。これだけ広い世界であるから、例え
	ば日本で言う鎌倉時代辺りに、地球の裏側でcomputerが発明されていてもおかしくはないように思うが、決してそうは
	ならない。人々の暮らしが段階的に発展進歩してきたように、技術にもまた発展の段階がある。銅鐸から、いきなり飛
	行機は作れないのである。

 

 

 



 

 



 



 

 

 

 

 

 





 

 

 







 

























 

 

 

 








	これが2001年に発見されて超有名になった、「子持ち勾玉」である。褐鉄鉱容器の中に勾玉が入っていた。褐鉄鉱
	容器に入った勾玉が、弥生時代で最大級のひすい製品と分かった。勾玉は2つあり、1つは長さ4・64cm。弥生時
	代のひすい製品では全国で10番目の大きさ。もう1つは長さ3・63cmと小ぶりだが、鮮やかな緑色で光沢があり
	良質のひすいと判明した。田原本町教委は「褐鉄鉱に入れた意味は分からないが、司祭者や首長層の持ち物だろう」と
	している。褐鉄鉱容器は、集落の中枢部とみられる建物群付近の溝で出土。土器片15点をつなぐと、容器の口にぴっ
	たり合うという。紀元前1世紀のかめのかけらと判明した。



 

 

 





 

 

 

 

 

 



 



 

 





 



 





 

 

 

 











 

 

 

 

 

 



  












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