<県指定 三里古墳> 古墳時代後期 墳丘は大きく削られている。墳形ははっきりしないが前方後円墳の可能性もあるそうだ。直径22mの円墳か、全長35m 程の前方後円墳と思われている。主体部は横穴式石室だが、天井石も側壁石の上部もない。玄室長4.9m、玄室幅2.4m、 羨道長7m、羨道幅1.3〜1.4mを測る。発掘調査により、玄室内部に組合式家形石棺、蒼ケに組合式箱型石棺、玄室東 側と蒼ケ前部に木棺、石棚上下にも木棺が安置されていたという。木棺は4基が確認された。
石棚をもつ古墳は、全国に約140基あるらしいが、奈良県にはこの三里古墳と岡峯古墳、槇ケ峯古墳の3基しかない。岡 峯古墳と槇ケ峯古墳は紀ノ川上流にあり、和歌山の古墳と同じく結晶片岩を用いていることや石室形態が類似していること などから、紀氏との関係がとりざたされている。和歌山の岩橋千塚(いわせせんづか)古墳に行くと、下右の写真に見られ るような岩棚を取り付けた古墳が数多く見られるし、三里古墳の岩棚の隙間から棚下の横石を見ると、まさしく岩橋千塚古 墳と同じような細かい石片を積んで作られているのが認められる。また三里古墳の場合、花崗岩を用いているので石棚が大 きく、床面からわずか50cm程しかない点などは和歌山の古墳とは異なる。副葬品として馬具、銀輪、曲玉、ガラス玉、 刀子、直刀・鉄鏃などの武器、須恵器などの土器等々が多数出土し、県指定文化財となっている。
ここまで無惨に取り壊されてしまっては、(被)埋葬者はさぞ嘆いている事だろうと思われるが、近在の人間の仕業だとす ると、盗掘者が埋葬者の子孫である可能性も大いにある。実際そうだったとしたら、歴史の皮肉と言うしかない。
こうやって上から玄室を眺めると、結構な大きさを持った古墳だったのが分かる。盗掘して壊していくにも相当な時間を要 した事だろう。しかしここから見る限りでは、周りにはどこにも前方部らしきものがあったような痕跡はない。やはりこの 形からすれば円墳だったのではないだろうか。