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平群の里を往く
2004.3.7(日) 歴史倶楽部弟81回例会
烏土塚古墳



 


	竜田川駅から西へ400m程歩く。ここだけ駅から西側にあるので、見学の後はまた駅まで戻ってこなければならない。烏
	土塚(うどづか)古墳は、住宅地の真ん中にある古墳時代後期の古墳で、古墳の前はおおきな釣り堀になっている。この日
	も多くの太公望達が釣り糸を垂れていた。急な石段を一気に昇っていく。

 


	国史跡 烏土塚(うどづか)古墳

	墳丘長60.5m,前方部幅31m,後円部径35mの前方後円墳。主体部は両袖式の横穴式石室で、玄室長6m,玄室幅
	2.8m、玄室高さ4.3m,羨道長8.2m,羨道幅1.6〜1.9mを測る。玄室と組合家形石棺が現存する。古墳時
	代後期(6世紀後半)の築造と推測されている。竜田川西岸の南北に延びる独立丘に築造された、平群谷最大の古墳で、巨
	石を用いた両袖式の横穴式石室が南に開口している。玄室から羨道、前庭部にかけて排水溝がめぐらされている。発掘調査
	で馬具、武具、埴輪、土器類が出土し、石室前庭部で埴輪を用いた祭祀跡が確認され、奈良県で最後の埴輪使用例として貴
	重な存在で、国史蹟に指定されている。

	<国史蹟指定状況>
	所 在 : 平群町春日丘1丁目- 4 
	所 有 : 日本国・平群町 
	指 定 : 昭和46年 7月30日 
	時 代 : 古墳時代後期 
	その他 : 指定面積  国有地 376.00平方メートル 町有地 3192.68平方メートル




	錦織さんが、「あっちが矢田丘陵、あっちが生駒山方面。あそこが大阪と奈良境の暗(くらがり)峠。」と説明してくれる。
	平群の山々、平群谷が一望できる素晴らしい展望である。






	この古墳は、数値の上からは平群最大の前方後円墳と言われるが、現在では、宅地開発で後方部はほとんど失われている。
	墳頂もほぼ平らに削られていて、前方後円墳だという事を示すためか、細く白いロープで円と線を描いてある。この古墳は、
	平群の豪族の墓という説が有力のようだ。平群の「倭舞の名手」の事が書かれている木簡がある。




	墳頂から手すりのついた石段を下へ降りると、上部の土はすっかり取れてしまった羨道と横穴式石室が見える。壁面・天井
	面に巨石が奇麗に削られて並べられている。この組合式家形石棺の石材は、ここから西北西800mの石床神社付近(越木
	塚)のものという。この古墳には石棺が追葬された跡があった。古墳時代後期の横穴式石室の古墳は、家族などが追葬され
	るのはよく見られるので、ここにもおおそらく一族の誰かを追葬したのだろうと思われる。

 

 


	羨道の両側に立つ岩も巨大なものである。こんな山の上によくもまぁ、とは毎度の感想ながら、ほんとに古代人のエネルギ
	ーには感服する。墳丘は一段築成で葺石はなく、墳頂寄りに1.5m 〜2m間隔で円筒埴輪を並べていたらしい。墳丘西裾
	では幅約2mの小規模な周溝が確認されている。 

 

	玄室の天井石は2枚で、奥壁側の石は玄室の8割を覆うほどの巨石である。今まで見てきた横穴式石室の中でも大きな方で、
	その石室の巨大さにみんなも見とれている。確認出来なかっったが、現存する棺身の奥壁に向かって右長辺側石と、玄室入
	り口左側壁下段の石に斜格子文の線刻がみとめられるという。このことから烏土古墳を装飾古墳と言う人もいるようだ。し
	かし九州に残る装飾古墳の数々を見てきた私には、ここを装飾古墳とするにはその装飾性は少し低いと言う気がする。

	石室は、玄室長6m、幅2.8m、高さ4.3m。羨道長8.2m、幅1.6〜1.9m、高さ2mあり、玄室幅に比して
	高さのある石室構造である。玄室奥側の天井石は特に大きい。玄室中央と羨道奥寄りに二上山産の白色凝灰岩製の組合家形
	石棺が納められ、玄室の周囲より金銅装馬具・銀装太刀等の武具・四獣鏡・須恵器・土師器等の副葬品が出土している。資
	料によると、大阪府南河内郡の「近つ飛鳥博物館」に、「奈良烏土塚古墳 金銀装大刀1口」の展示があるとされているが、
	今までそこには3回ほど行ったことがあるが、残念ながらそれには気づかなかった。石室前庭部付近で、須恵器子持ち器台
	・巫女(みこ)形埴輪・形象埴輪・須恵器大甕などがまとまって出土しており、石室閉塞部分における埴輪と須恵器を用いた
	墓前祭祀の様子が明かになった。

	石室は鍵が掛かっていて中へは入れなかったので、鉄柵の間から手を差し入れて撮影した。前もって教育委員会に連絡する
	と、鍵を借りることが出来る。

 

 


	この古墳にも閉塞石と呼ばれる、石室入り口附近を石敷きで覆ったものがあったようだ。閉塞石は基本的に、石室の外側か
	ら運び込み、石室内側から外側へ向かって順次並べて置いていくものである。大和の大型横穴式石室で閉塞石が調査された
	例は、市尾墓山古墳(高取町、6世紀前半)、平林古墳(当麻町、6世紀後半)、烏土塚古墳(平群町、6世紀後半)、牧
	野古墳(広陵町、6世紀後半)など数えるほどしかなく、しかもこれら古墳の閉塞石の遺存状況はきわめて悪く、大型横穴
	式石室の閉塞石を良好な状態で調査できた例は「藤ノ木古墳」のみである。


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