Music: Mr. Moonlight


 

大阪内本町中大江公園にて






桜が、こんにち日本中で愛でられるようになったのは一体何時の頃であろうか?
万葉集には天平宝字3年(西暦759年)までの歌が集められているが、一番多く歌われている花は「萩」である。その
次は梅の花なのだ。奈良時代には、桜はまだ人気のある花ではなかったことがわかる。ところが平安時代に成立した古今
和歌集(延喜5年(905)前後)になると、いきなり桜の登場回数が激増する。この150年を隔てた両時代の間に、
どんな変化が起きて桜は「愛花NO.1」の地位を築いたのであろうか。
それは花見が始まった事に関係すると思われる。記録に残る日本最古の花見は、弘仁3年(812)4月3日、嵯峨天皇
が宮中で行った花見である。当時は、今のような桜の苑や桜並木が林立していたわけではなく山桜を観賞していたはずな
のだが、この時代は、有史以来一番暖かかったとされる時代である。温和な環境で人々が野や山に繰り出す機会も増え、
花見の習慣が人々の間に根付いていったと思われる。150年の間に変わった気候環境が、桜の花の隆盛をもたらした可
能性が高いのである。
といっても、花見が広く一般大衆の間に根付いていったのは、やはり政情が安定した江戸時代である。江戸中期には、広
く低位の階層にも花見の習慣は浸透し、人々はこぞって花見に出かけた事が諸文献に見える。





2016.3.31.(木)


何と、今年は曜日こそ違え、去年と同じ日に花見である。去年は寒かった様な気がするが、今年は全く暖かい。
今年は大学の後輩で、私と同じ吹田市に住む浅井まほちゃんが花見に来てくれると言うので楽しみだ。まほちゃんは、
最近の日本人の教育のあり方に疑問を抱いていて、歴史を勉強し直さなければと日頃から言っているので、私が一度
うちの会の会合に来てみるかい? と前からお誘いしていたのである。花見開催を決めた時、それを思い出して連絡
してみたら「行きます!」との事。ま、おじいちゃん達とお茶のみ話の積もりで来て頂戴、と言う事で美女降臨。
勿論昔の美女(今も美しいが)、乾さんも参加してくれて松ちゃんは両手に花と鼻の下を伸ばしていた。














































2015.3.31.(火)


「中大江公園はいま桜が満開やで!」という松ちゃんの電話を受けて「よしっ」と皆さんに電話を掛けまくり、急遽9名
が参加して、久々の花見開催。なるほど満開で平日だからかあまり人もいず、特等席の桜の下に陣取ってパーティーの
はじまり、はじまり。







橋爪君、靖さん、郭公さんも始めての参加だそうだ。そうか、もうそんなに永いこと花見やってなかったんや。

違った! 郭公さんは前回にも参加してました。ゴメン。



この写真をFB(フェイスブック)に掲載したら、娘と姪から「じいちゃん(私の父)そっくり!」とコメントがきた。





長老、服部さんはますます元気です! 橋本さんはまだナンパしてるし、昔の人は元気ですなぁ。











なんと、前回の花見から7年が経過しております。この間全くやらなかったのかしらん? この間にみんな
リタイアして、松ちゃんも結婚し、橋爪君と大隈君が加わって、ばたばたしていた7年間だったんですな。
それにしても、最初に花見をしたのは何と2000年ですぜ。もう16年経ってます。みんな現役で若かったねぇ。






2008.4.3.(木)


今年は私もヒマだったので、この近くのお客さんへ営業に来て、そのまま直帰ということでここに居座った。まだ早い
内から来たつもりだったけど、一等地は若者の集団に取られていて、結局去年と同じ場所に落ち着いた。ここが定位置
になるのではないかしら。



この日の桜橋公園の交差点に咲いていた桜。靫公園も満開に近かった。今年は暦どおりに咲いた気がする。



薄暗くなって往く桜を見るのもなかなかオツである。





寒いかも知れないと、山登り用のパーカーを羽織っている。





今年は近所のスーパーへ酒とつまみを会に錦織さんと出張った。いつもあまるので今回は少し少なめに。



私の前の会社の部下だった宮崎君も参加して、河内さんと話し込んでいる。宮崎君と河内さんは既知。



しかし、やはり女性がひとりでも居てくれるとだいぶ華やぐんだけどなぁ。






2007.4.7.(金)


先週金曜日に下見に行ってくれた河内さんから、「今満開や。ただし満開になったとこやから後1週間は持つと思うで。」
と連絡が来たので、急遽恒例の花見を今週開催する事にした。最初土曜日の昼間を企画したのだが、用事や仕事で参加
できない人が多かったので、例年通り夜桜見物として金曜日に開催した。だが、私は会社の飲み会と重なって、しかも
それを知ったのが前日だったので、みなさんが揃った頃に抜けなければならず残念だった。4月例会の詳細を決めても
らうよう頼んで、タクシーで梅田へ向かった。











上5枚の写真は、4月2日の月曜日に私も下見に来て(会社の創立記念日で午後から休みになった。)写したもの。




前準備を担当してくれた錦織さんと橋本さん。この公園のことはだんだん知れ渡って、もうシートを敷くスペースはほ
とんどなかった。松田さんが今朝シートを敷いてくれたおかげで我々は場所を確保できたが、5,60人くらいの団体
もいて、バーベキューや焼き肉などをやっていてここでの花見もちょっと過熱気味である。この催しを始めた頃は2,
3組の花見客しかいなくて、ゆっくりと花の風情を楽しめたのだが。




松田さんは仕事で欠席だったが、近所の料理屋に「花見弁当」を頼んでくれていた。1500円にしては豪勢な弁当だ
った。この後参加した会社の飲み会は「しゃぶしゃぶ食べ放題」だったが、こっちの花見弁当の方がよかった。寿司を
一つつまんだだけでここを去らねばならず、誠に断腸の思いだった。





7時前にみなさんが揃って乾杯。今年は満開は早いが、寒さは例年
と違ってコート不要の暖かさ。でも昨日はちょっと寒かったかな。



新会員・田上さん(郭公さん)も参加。久しぶりに歴史談義をやりたかったが、返す返すも残念。






2006.4.12.(水)急遽、みゆき会が夜桜見物となる


谷町のお客さんを訪ねた後、中大江公園が側なのを思い出した。もう散ってるだろうなと思ったら、あに計らんや、まだ
まだ満開状態。少し散りかけている木もあったが、「これなら花見いけるやん!」と急遽、本日のみゆき会を花見に変更
する事を思い立った。しかしもう4時を過ぎているし、携帯を随行せず出かけた人もいるのではないかと思ったが、とり
あえず連絡をしてみた。近くの松田さんは「徹夜明けですねん」といいながらも、昨年の花見の後保管してもらっていた
青いシートを持ってきてくれた。服部さんもすぐ近くに来ていて「10分で行くわ」と言ってくれたし、錦織さんも本町
に居るという事で、これなら何とかなりそうだったので本日は花見と決定。
約1時間ほど、みゆきに連絡を入れてCANCELと花見のアテを注文して、早く来た栗本さん、橋本さんにタクシーで持って
きて貰った。河内さん、杉本さん、高野さん、乾さんにも何とか連絡が付いて、急遽花見が成立。昨日一昨日と雨が降り
続いたので今日もダメだろうと思っていたが、何とか今年も花見が開催できて一安心。継続は力なり。






夜はしかし、桜の花はよく写らないねぇ。見た目にはごっつ綺麗だったんだけど。





少し肌寒かったのでコートを着ていた河内さんは正解! 乾さんも参加してくれた。



 

みゆき会をCANCELしたお詫びに、みゆきで料理を頼んだのだが、10人で食べたらあっと言うまに胃袋へ。

 


ひとしきりの桜談義や歴史談義のあと、乾さんが直面した教育上の問題についての討議となった。詳細は書けないが、
障害児の普通校への入学と、それを取り巻く親たちと先生の対処、子供達の間での問題等だった。実際に乾さんが数日
前から対処している問題なのだ。いろんな意見が飛び交ったが、テーマがテーマだけに重い議論だった。

 


勿論、結論のようなものはでないのだが、帰りの電車の中で乾さんが「いゃー皆さんに話してよかったわー。勇気が沸
いて来た。」と言っていたので、我々の議論も意味があったのだろう。それにしても、教育や国家論になると人はさま
ざまな意見を持っているものだ。こういう声はどうやったら文部省や総理大臣に届くのだろうか。






このHPの最下段、2000年の花見の部分に、「さっちゃん」という可愛い女性が登場しているが、彼女の母親が乾さん
である。美人の娘は美人だねぇ。DNAの神秘というか不思議というか。

 



3組しかいなかった花見客の、若い集団のかわいこちゃんに頼んで撮って貰ったが、フラッシュを焚いてもうまく写っていない。




「酒と桜の民族」著者・西岡秀雄 発行・財団法人国鉄厚生事業協会 発行日・昭和56年4月16日
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酒と桜の民族-神様の名が地名に-
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日本の地名には、最近新しく命名されたものもあるが、「古事記」や「日本書紀」以前、つまり西暦8世紀以前から
すでにあったと思われる地名も、実はたくさん挙げられる。例えば、日本の旧国名のなかでも、 『サガミ』 などは
その好例といえよう。漢字は、古事記で「相武」、日本書紀では「相模」、と、それぞれ2書で当て字が違っている
が、相模国というのは、おおむね現在の神奈川県の大半を占める地域をいう。日本語は上の記・紀に代表されるよう
に、西暦8世紀ごろ、まず漢字を用いて書かれたために、サガミ川も今は相模川、サガミ湾も相模湾と書く慣わしと
なってしまった。したがって、サガミ という言葉がその発音通り『サ神』 という神様の名称であったことなど、現
在の日本人たちには全く忘れ去られてしまった。第一、日本の神々といえば、イザナギ、イザナミ二柱の神々やアマ
テラス大神、など八百万(やおよろず)の神々の名を挙げることだろう。しかし、これらの神名はいずれも西暦8世
紀の記・紀にのった神々である。ところが、西暦8世紀以前の古代日本人も多くの神々を信じていたはずなのだ。
そこで、その記・紀以前の神々のなかで、最も古代日本人たちに尊敬されていたと考えられる神が、『サ神』と呼ぶ
神様なのである。
日本の旧国名におけるサが付く例

☆サが上につく例− ・・・サツマ(薩摩)・サヌキ(讃岐)・サガミ(相模)・サド(佐渡)
☆サが下につく例− ・・・カヅサ(上総)・シモフサ(下総)・ワカサ(若狭)・トサ(土佐)
☆サが中につく例− ・・・ムサシ(武蔵)

このように、古代日本人たちが、『サ神』 と深くかかわってきたことをうかがわせている。
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サ神は山の神
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元来、『サ神』という神は山の神で、福島県・山形県・新潟県の山地狩人仲間では、現に山の神を『サガミ様』と、
呼称している。三河(愛知県)・遠江(静岡県)・信濃(長野県)の山地狩人たちの間でも、山の霊を『シャチ』
と呼んでいる。『シャチ』とは 言うまでもなく『サチ』(幸)の転訛である。(魚のサケをシャケ・植物のサボテ
ンをシャボテンなどというようなものである。)
昔の人たちは、山の 峠を越えるときには、その山神に向かって手を合わせて無事を祈願したり感謝したりした。
そこで、テムケ(手向け)→ タムケ(手向け)→ タウゲ → トウゲ(峠)と、峠という言葉が生まれた。また、山
神を礼拝するときに、昔のひとたちは立ったままでは失礼なので、必ずしゃがんで合掌したと思われる。この『シ
ャガム』という言葉もサオガム(サ拝む)→ シャオガム → シャガム と『サ神』を礼拝する姿勢から生まれた言
葉と思われる。そんなわけで、『サ神』 は山神なので、通常は人気のない山頂に近い神域に住んでいて みだりに
一般庶民は近寄れなかったと思われる。そこでその境界線をサカイ(境) 。そこに具体的に設けられた垣根が さく
(柵)といわれた。 
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農業の開始
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日本の古代人たちが、本格的に農業を営むようになると、日本各地の農村では、豊作祈願のために、「サ神」に山
から下りていただく月をサツキ、つまり、昔から田植えの行われる 五月(サツキ)の呼び名というわけだ。
5月の田植えの時期にサオトメ(早乙女・五月女)が、サナエ(早苗) を植える。田の神のことを、四国地方では
『サバイ』中国地方では 『サンバイ)』とか 『サンバエ)』鹿児島県では『サツどん』(どんは殿の意)という。
日本各地に残る火田耕作に源流があると思われる農作祈願の火焚祭に、『サイノ神焼』・『サイノトウ』・『サイ
トウ』・『サイドウ焼』・『サギチョウ(左義長)』・『サンクロウ(三九郎)焼』 等々、やたら 『サ』のつく
名称が多いのに驚かされる。サ神信仰が非常に根強かったことをうかがわせる。田植え月の五月、『サ神』が降り
てくる意味の『サオリ』に対して七月に昇天することをサの神が昇る、サ昇りが→『サナブリ』という。田植えの
終わりの行事である。古代日本人は、サ神様にいろいろ祈願するのにただでは申しわけないから、まず、くさぐさ
の供え物をした。その、最も欠かせない重要なものが 『サケ』(酒)である。神前に ササゲル(捧げる)意味がある。
サカナ(魚)やサケ菜(山のもの、野のもの)も同じ、サカナ(肴)、サ神様に、お供えするものの、意味である。
神への供えものをササゲモノともいう、これは『サ神』が 下げ渡すものというのが原意だった。現在、ササゲル
(捧げる)という動詞は、下から上に向かってさし上げる感がするが、人間たちが神にいくら供物を上げたところ
で、神は気持ちだけ受け取って、実際には飲食しないで結局人々に下げてしまう形になる。人々はそれを知ってい
て、供物を神にあげている中に、いつか原意は逆転して しまったのである。
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サ神とサクラ
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桜の花について和歌森太郎は、その著「花と日本人」の中で、次のように述べている。すなわち、
民俗学では、 サツキ(五月)の サ、サナエ(早苗)の サ、 サオトメ(早乙女)の サは、すべて稲田の神霊を指す
と解されている。田植えじまいに行う行事が、サアガリ、サノボリ、訛ってサナブリといわれるのも、田の神が田
から山にあがり 昇天する祭りとしての行事だからと考えられる。田植えは、農事である以上に、 サ神の祭りを中
心にした神事なのであった。そうした、田植え月である五月に際立って現れるサという言葉がサクラのサと通じる
のではないかとも思う。クラとは、古語で、神霊が依り鎮まる座を意味したクラであろう。イワクラ(磐座)やタカ
ミクラ(高御座)などの例がある。カマクラも神クラの変訛である。あの雪室そのものが、水神などの座とされてき
たのである。
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神 判 (サダメ・サタ・サバク)
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日本人にかぎらず古代の人々は、農作の豊凶や運命の吉凶などに関して、神に祈願をこめて、神にその判断を請う
ことはしばしばだった。したがって、日本人の先祖たちは、サ神によって運を サダメ(定)、神のお サタ(沙汰)
やサトシ(諭)を待ち、 悪事をすれば、サバ(裁)かれるのだった。サトル(悟)とか、サトッタという言葉も当然、
サ神の神意を素直に受け取るとか、受け取ったという 意味に違いない。言語学者の大野晋教授も「日本語の世界」
(アサヒグラフ 1976.3.26)の中で、古代社会では占いによってその可否を決したものに相違ない。つまり、サダ
ムとは神意をうかがって 重大事項を決定するという意味を持つ言葉であったのだ。だから、罪人の刑を決めること
もサダムと言っている。
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『サチ多かれと祈る』
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幸福と言う言葉は中国から伝わった用語で、古く日本語ではサイワイ(幸い)とかサチ(幸)と言う言葉が、 幸
福の意に用いられていた。すなわち、サイワイ(幸い)とは、サ神に祝ってもらうことだし、また『サチ(幸)』
とは『サチ多かれと祈る』と言うように サ神が千も集まってほしいの義に他ならない。サチの『チ』は千の意で
ある。『サカエル』(栄)とか『サカル』(盛)、花が『サク』(咲)など、いずれも『サ神』の祝福によると考えて
うまれた古語であろう。
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位までもらった鳥『鷺(サギ)』
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島根県で鯉の街として名高い津和野に弥栄(いやさか)神社という古い郷社がある。京都に祇園祭りでしられた
八坂神社があるが、この八坂は弥栄がつまった言葉だろう。この弥栄神社の毎年7月に行われる祇園祭の神事に、
素晴らしい白い鳥の装束をつけて町内を舞い歩く『サギ舞』が有名になっている。古来、白鳥に関する伝説は、
わが国では羽衣伝説で知られている世界的に名高い白鳥処女伝説(swan-maiden type myth )をはじめ、愛知県
名古屋市熱田区に残るヤマトタケルノミコトの白鳥御陵などの例のように、いろいろの形のものが、日本各地に
散在している。東京の佃島にある住吉神社の扉には、白サギの紋章がついているが、付近の漁夫たちにいわせる
と、サギは天候の良否を教えてくれる由だ。キツネは日本では正一位の位を受けてお稲荷さんに祀られているが、
鳥類では、白いサギがさ神の使いのように親しまれたのか、『サギ』の名称 のみならず、『五位鷺(ごいさぎ)』
などと位までもらっている。さぎの『ぎ』は、神官のもとで祭祀に奉仕する者を『ねぎ(禰宜)』ということの 
『ぎ』と関係がありそうだ。
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上はこの日の2,3日前に写した、我が家の側の公園。桜満開!




2005.4.13.(水)久々の夜桜見物




久々の歴史倶楽部のお花見。昨年も没になったので実に4年振りだ。参加者の顔ぶれも少し変わっている。今年
は直前まで風と雨が降って、特に昨夜は夜半まで雨が降っていたので、河内さんは心配して「こりゃあかんやろ。」
と言ってきた。
しかし私は、雨は夜中に止んで、明日はいい天気になると、妙な確信があった。果たして、予感通り、綺麗に晴
れて少し肌寒い、絶好の夜桜見物であった。相変わらず西本さんは、この日だけのコートを着ていた。



5時に集まった早出組が買い出しを行い、もう6時にはボチボチ酒宴の開始となった。(5時半頃から?)

 

ついこの前まで6時には真っ暗だったのが、6時半でもまだ明るい。久々に顔を見せた智世ちゃんも健在。




春になると、桜の下で弁当広げて酒飲んで。こんな光景はおそらく、世界広しといえど日本だけではなかろうか、
と思っていたらさにあらず。隣の韓国も、中国でも花見は行われている。特に韓国には桜の名所が多く、日本同様、
季節になると桜の木の下は花見客で溢れているが、しかし日本のような、酒飲んでドンチャン騒ぎというのは少な
いようである。
家族づれや友人達で静かにお弁当を食べるというのが一般的なようだ。時には酒を飲むこともあるという程度らし
い。中国では花見に酒を飲むが、日本のように馬鹿騒ぎは今の所ないようである。しかし、両国とも同じように日
本の後を追いかけて来ているから、やがて所得水準が高くなったら、同じようにkaraokeを持ち込んで馬鹿
騒ぎをするようになるのかもしれない。




しかしその日本人でも、梅の花や桃の花の下で花見というのは聞いたことがないし、チューリップやカーネーショ
ンを見たところで花見とは言わない。まして桜以外の花をみながら一杯やろうとは思わない。どうして日本民族は、
桜の花だと酒を飲み浮かれたくなるのだろうか?桜の花の、サクラという呼び方にしても、どうしてサクラなのだ
ろうか?
これらの疑問の答えとして、幾つかの著作やネット内にも情報があるが、どれもこれも今ひとつはっきりしない。
誰かサクラについて研究してみませんか?



昨夜の雨にもかかわらず、まだしっかりと花を付けた桜の木。今週いっぱい位は持ちそうだ。空には書いたような三日月が。

 






二次会は松ちゃんの事務所に寄って、花見で余った酒で再び宴会。TVでちょうどNHKの「その時歴史が動いた」
をやっていた。武田勝頼の話だったが、酔っていたので内容はよく覚えていない。巨人・阪神戦とチャンネルの奪
い合いだった。松ちゃんの事務所には、新しいノート型PCに混じって、NEC-PC9004とかいうような、いつの時代
だか分からないようなパソコンがまだ現役で動いていた。もしかしたらあれは江戸時代のものでは。





2002.4.?


今年(2002)の桜の開花は異常に早い。3月中旬だというのに、東京の一部の桜は既に満開である。例年より1ケ月
も早く、気象観測史上最も早い開花だという。今日では一般的に、桜の開花予想は花見のスケジュールを立てる為に
発表されていると思いがちだが、勿論そんな宴会準備のために予報があるわけではない。動植物を気候変化の指標と
して観察し、季節の変化が日本列島内をどう進んでいくかを判断する為に気象庁が発表しているのである。桜の中で
もソメイヨシノは、季節を勘違いして花開く、いわゆる「狂い咲き」というのが殆どないので、この季節変化の指標
としては非常にありがたい存在なのである。
開花するという事は、もう春がそこまで来たという事にはなるのだが、暖かければ花が咲くという訳ではない。今年
のように、九州や四国より早く東京が開花する年もあるが、たいていは暖冬の年なのだ。気温の低いはずの東京で先
に咲いている。桜はその記憶として十分に「寒かった」という記憶を持ってないと開花しないので、そういう意味で
は微妙な温度の変化を感じ取る、実に賢い花とも言えるのである。

この年は結局雨のせいで「花見」は中止となった。




2001.4.4(水)




今年も同じく中大江公園にて。今年は去年より1週間早い。去年の写真を見ると西本さんはまだコートを着ている。
今年はコートを脱いでもう3週間くらいになると言うのに。そうとう暖かいんだ今年は。

 


今年は河内さんと京子ちゃんも参加してにぎやかに。でも穴場のはずだったのに、今年は結構人が集まっていた。
しかし、会社の連中数十人で来る花見客にはカナわんね。

 

フラッシュを焚いたときと焚かない時。どちらも真ん中に小さく月が映っている。

 


「寒かったらこれ着たら」とビニールででかいブラを作って京子ちゃんに渡す西本さん。「ルンペンみたい」と京子
ちゃん。後ろの自転車は服部さんの愛用車。駅から会社用。

 

下左が我々の陣取った桜の下。暗くてフラッシュ無しのデジカメの限界やね。

 





花見の翌日、4月5日の朝日新聞に花見の記事が載っていた。


(C)Copyright Asahi Shinbunsha Co.,LTD




2000.4.11(火)



月がとっても青いから〜、遠まわりしてか〜えろ〜。

昔こういう歌があったよなぁ。こんな「花」と「月」を見ると全く気持ちがわかるねぇ。






大阪での桜見物名所のNO1は何と言っても大阪城である。昼間は言うに及ばず、夜も沢山の人で賑わう。東京
で言えば、さしずめ上野の山か靖国神社かと言った所だろう。しかしこれらの名所はややもすれば、「宴会場」
としての花見の場と化してしまい、その内「花」など見もせず、果てはカラオケに興ずるような醜態をさらす事
になる。つまりは、それは人が多すぎるのである。せっかく「今年は花を愛でるぞ」と思って来ても、廻りの喧
噪と俗化した話題に興ずるうちに自身を見失う。ほんとに花見をするなら、少人数の気心のしれた仲間で、人の
少ない穴場を見つけて、俳句の一つもひねり出	すような気持ちで行くべきである。
今回我々「歴史倶楽部」の花見は、まさしく花を愛で、酒をたしなみ、いにしへの歌人を偲ぶ、理想的な花見と
なった。大都会の街中でも、探せばいい場所があるのだ。



 

 




少し肌寒い夜ではあったが、花びらを浮かべた日本酒の盃を重ねる内に、話題は日本国家の成立、秀吉の聚楽第
での花見、はては特攻精神と桜の関係と、なかなか歴史倶楽部らしい展開となった。


 

 






さほど見物客も多くない公園では、どこのグループもおとなしい。ビル街の谷間という事もあるが、いずれも
「花を愛でる人達」と見た。






適度に酔って思考能力が低下したら、潔くその場を去るべきだろう。俗化するにはそれなりの場がちゃんとあるのだ。



流れていった飲み屋のお客さんのサッちゃん(上)と常連たち(下)





桜の花は昔から、潔く散るので太く短く生きる日本人の心情にピッタリだとして、精神的にも武士道や特攻精神
の心の支えとして、或いははかない恋になく乙女の心情になぞらえて、「花の命は短くて・・」などと形容され
てきた。確かに満開の桜が風に舞う光景は、何度見ても美しいし、寂(さび)しいし、侘び(わび)しくそして
悲しい。咲いてすぐ散ってしまうなんて、なんと短いヴィ(生)なのであろうと、その一生を哀れむ人もいるだ
ろう。
だがしかし、実は、開花したばかりの桜の花は、相当な嵐が来ても耐えられるしぶとさを持っているのである。
もし貴方が、翌日一斉に咲いた桜の花を見つけたら、木を揺さぶるなり、扇風機を最大にして強風を浴びせるな
ど、何とかして花を散らす試みをしてほしい。花びらはビクともしないはずである。そう簡単には落ちたりしな
い。しぶとく枝にしがみついている。散りだすのは約1週間の寿命を全うした桜の花で、こうなるとそよ風ほど
の微風でも、はらりと枝からこぼれ落ちてしまうのである。


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