Music: End of the World
江戸の旅
−国分寺友の会の皆さんと、花のお江戸でお花見を−
2005.4.9/10/11(土・日・月)
東京の「国分寺友の会」の皆さんが花見をやると言う。先週は我が歴史倶楽部の花見を奈良で行なって、今度は江戸の
花見である。先週の花見の前日には、出張の帰りに福島の会津若松へ行ったので、今回はさすがに出張は出来ないなと
思っていたら、話を聞いた上司の営業本部長が、「それなら月曜こっち(東京)にいて、朝と夕方の会議をこっちで出
ればいいじゃないですか」、と言ってくれたので、今回も交通費が浮いた。いつもは東京の部長会議に、大阪の私だけ
一人電話で参加しているのだ。時々気が向いたら出張して直接参加もしているが、いやぁ、持つべきものは上司ですな。
以前は親会社(BT)から配布されたドデカイTV会議のセット(1千万くらいした。)があったのだが、ISDNで接続
していたので、会議が長引くと通信費が交通費の倍も掛かってしまい、アホらしくて突っ返してしまった。
それにしても福島から大阪へ帰ってきて、奈良で花見をし、また江戸で花見とは、この1週間は大忙しだったな。
というわけで、今回も江戸の遺跡・旧跡を訪ねることが出来た。特に今回はseizanさん(渡辺勢山さん:大仏師:滋賀
県の大津で仏様を作っている:HPはこちら。)が、世田谷の豪徳寺さんに納める仏像を制作中だそうで、新規制作中
の三重の塔の内部を、住職に頼んで友の会の皆さんに見せてくれると言うので楽しみだ。現代でも新しく三重の塔を作
ってるなんて知らなかったし、その建設現場を見れるとは、こりゃ何があっても行かざぁなるめぇ。

土曜の朝大阪を発って、新宿から小田急で「豪徳寺」へ行き、ここから世田谷線に乗り換え一駅、「宮の坂駅」で下車。
徒歩5分程で豪徳寺に着く。コマツさん、seizanさんに道順を教えて貰ったのでスムーズに行けたが、地図だけで捜そう
としたら大変なことになっていたらしい。この辺りは有名な「世田谷迷路」で、飲み込まれたら生きて出れないそうだ!
(^_^)

豪徳寺 (ゴウトクジ)
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世田谷城主、吉良政忠[きらまさただ]が1480年(文明12)に建立したと伝わる曹洞宗の寺。彦根藩2代藩主井伊直孝
[いいなおたか]が、豪徳寺の猫の手招きにより雷雨の難を免れたという言い伝えから、まねき猫が縁起物として祀ら
れている。
営業時間 8時30分〜18時
休業日 無休
交 通 東京急行電鉄宮の坂駅→徒歩5分
駐車場 あり
所在地 東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
問合せ先 【電話】03-3426-1437
豪徳寺については、「国分寺友の会」の会長(?)久保田さんのHPに詳しい解説がある。 → こちら。

ここには井伊直弼の墓もある。




満開の桜はホンマに綺麗やなぁ。

総門を入って桜を愛でていたら、コマツさんから携帯が入って下まで迎えに来てくれた。コマツさんのHPは こちら。
【ここに三重の塔建設の模様をレポートしていたのだが、その後seizanさんの要請で非公開となったので、全て割愛する。】

上右が井伊直弼の墓。


この後夕方の鈴木さんの転職祝いまで時間があり、久保田さんに以下の遺跡を車で案内して貰った。ありがたい。

久保田さん(左)と鈴木さん(右)。
久保田さんに東京の遺跡案内をして貰った後、メンバーの鈴木さんの転職祝い(?)をやった。鈴木さんは中学校の校長
先生だったのだが、定年を2年後にひかえて退職してしまった。そして山形大学の助教授になったのだ。音楽が専門で、
そっち関係の講義をするらしい。音楽教育の論文を書いたことも在るらしく、定年が65才なので、「後まだ7年は働け
ますから。」と言っていたが、それにしても大學助教授とは。一芸に秀でた人はいいなぁ。今から山形へ単身赴任の生活。
鈴木さんのハンドルネームは、芭裳裟(バモサ)という変わった名前だが、これはバッハ、モーツアルト、さだまさしの
頭3文字を取ったのだそうだ。さだまさし、と言うところが面白い。芭裳裟さんのhpは、こちら。

グイグイ飲んでる私と川崎さん、川崎さんはもう全国の国分寺跡を廻ってしまって、「もう一度めぐりますか」と言って
いた。この夜は酩酊して、宿の九段会館へ帰ってくるのが難儀だった。私の本社はこの九段会館のすぐ側にある。今まで
何度か泊まった事がある。二二六事件で有名なホテルだが、これまで一度も、噂に聞く将兵達の幽霊に出会った事がない。
一度出会ってみたいと思っているのだが。

翌朝目覚めて、靖国神社を覗いてみる。東京転勤も3年間あったし、この界隈はもう30年見慣れているが、様相はだい
ぶ変わった。上は九段下交差点だが、工事中の現場にかって日本債券信用銀行があった。石造りの豪壮な建物で、2,3
百年はもつだろうと思っていたが、建物だけではなく本体も無くなってしまった。その真正面には「昭和館」という昭和
のノスタルジーを展開している博物館も出来た。

友の会の花見が午後からなので、その前に久保田さんが、我が秋月藩の菩提寺、練馬の広徳寺を案内してくれると言う。
久保田さんと会う前に靖国神社を覗いた。まだ花見客は居ないだろうと思う時間だったのだが、どうしてどうして結構な
人手だった。若い奴らは土曜の昨晩から家に帰っていないのである。呆れてしまう。




皇居の桜はこの時期ホントに見事に咲く。


久保田さんと会って練馬の広徳寺へやってきた。ここは京都の大徳寺の分社である。





幾つかの大名家の墓が並んでいた。禅寺だから侍達の墓が多い。浄土宗や日蓮宗は民衆の宗教だから、支配者側であった
侍の墓があることはまずない。質実剛健、精神鍛錬の禅寺に侍達の墓は集中している。近衛家の墓もあった。









ここが我が秋月藩の墓所である。といっても秋月家は、秀吉に負けて福岡から宮崎の高鍋藩へ流されたので、江戸時代の
我が故郷は黒田藩なのだが、しかし秋月地場の豪族だったのは間違いないので、ここも我が殿様の墓なのは確かである。



こっちは分家の墓。





久保田さんとわたくし。



国分寺友の会の皆さんと靖国神社をめぐる。芭裳裟さんはもう山形へ帰ってしまって今日は欠席だ。




seizanさんも加わって、コマツさんの案内で二番町日テレ前のインド料理屋「アジャンタ」へ。ピリリと辛くて美味しい料理だった。

上左、全員集合。右はコマツさんが写した。−コマツツさん提供。
美味しい料理でお腹一杯になって、また再開を約してお開きとなった。しかし考えてみれば、私が久保田さんとメイルの
やりとりを始めたのが3,4年前である。それから2,3度忘年会や新年会に声を掛けて頂いて、コマツさんは今度我々
の歴史倶楽部の会員にもなってくれた。internetは、人の出会いを今までとは大きく変えつつある。全く見知らぬ人達だ
った関係が、アッという間に親しい友人になれるのだ。歴史という共通の話題はあるにせよ、internet以前と以後では、
人間関係のありようが大きく変化していっているように思う。地球の裏側にいても話が出来るし、昔なら隣町に行くにも
一大行事だった距離感が今は全く無い。100年前の日本人達に比べたら、我々現代人の受けている恩恵は、計り知れな
いほど大きいものがある。

翌朝は本社へ出勤した。午前中の部長会に出た後、夕方の営業会議
まで時間があったので、雨の中を一人で再び靖国神社へ行った。

さすがに今日は人一人いなかった。桜は昨夜来の雨と風でどんどん散っていた。たった一日で地面は花びらの絨毯だ。


コマツさんが素晴らしいと絶賛してくれた写真、「砲身に散る桜」。いかにも靖国らしい写真だ。







今まで気づきもしなかったが、九段坂の由来を記した石碑があった。ここまでお堀は迫っていたのか。



営業会議が終わって本部長達と飲んだ翌朝、一番の飛行機で大阪へ戻る。東京は雨だったが大阪は晴れていた。

2005年晩秋、というよりもう初冬の12月初め、久保田さんが「国分寺友の会」の掲示板に、豪徳寺の紅葉の写真を
載せていた。おそらく営業の途中で立ち寄って、あまりにきれいだったので掲載したのだろうが、ここにも転載させても
らった。三重の塔はすっかり出来上がって、鮮やかな紅葉のなかに映えている。



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