SOUND:Penny Lane


		【本州四国連絡橋公団総務部広報課 1993年11月1日発行:WIND WAY No.19 より】
		
		木の国、和歌山。その和歌山で江戸時代の元禄年間に生まれた紀州備長炭(びんちょうたん)。「備長」とは、紀州田辺の炭問屋、
		備中屋長左衛門の名をとってつけたと言われる。火力が強いうえ、火持ちもよく、うちわ1本で火加減の調整が思うままにできる。
		鰻の蒲焼きなど、料理用燃料として今でも「最高」の折り紙をつけられている。そのすぐれた製炭技術は瀬戸内海をわたって、土
		佐(高知県)日向(宮崎県)に伝わり、それぞれ土佐備長炭、日向備長炭となった。現在は台湾、中国、ボルネオやビルマなどの
		東南アジアにまで製炭技術が伝えられ、「南洋ビンチョウ」の言葉まで生まれている。

木炭には「黒炭」と「白炭」がある。黒炭は炭焼きの時、木が灰になった時点で窯を密閉して消すもの。一方、備長炭に代表される白炭は、口を開いて空気を送り込みながら、炭を窯から掻き出し灰をかぶせて消火する。 最後の段階で高熱になるため、木の皮がとけ、肌がつるつるとして堅く、また灰が付着するため白くなる。この白炭はアジアにしかない特異なものだ。 紀州では平安時代から白炭が焼かれていた。さらに正月や節分に備長炭の原木、ウバメガシの枝を燃やす風習があり、古くからウバメガシの火力に畏敬の念を持っていたようだ。備長炭は、このような素地から生まれるべくして生まれたものと言える。 備長炭の原木となるウバメガシは、紀州南部を中心に、わずかに高知や宮崎にも自生する。曲がりくねって硬いため、用材には向かないが、木炭の材料としては最高である。
備長炭は「備長窯」と呼ばれる窯で焼かれる。原木の伐りだしから窯出しまで焼約10日。作業は自然との対話で進められる。 月の満ち欠けも潮の満ち引きも、大自然の呼吸である。大地の水もこの呼吸に合わせ、樹木の中を行き来している。この動きが止まった時、伐採の最高の時期となる。年間を通せば、旧暦の8月15日と20日のウバメガシから最高の備長炭が生まれる。 できるだけいい状態で原木を伐りだし、天候を見ながら窯の加減を最高に保つ。だが、数年経てば山のウバメガシは無くなってくる。すると、また別の山へ移り、古い窯を修復して炭を焼く。炭焼き人は、何個もの窯を持ち、ウバメガシの再生に合わせて山から山へ移動する。炭焼き人とは、山を熟知し、大自然を読む技術に長けた者といえる。
紀州熊野で神武天皇を先導した八咫烏(ヤタガラス)。三蔵法師をインドまで案内した孫悟空達。烏の色、孫悟空達の道具からして、彼らも地形を読む事に優れた炭焼き人だったのかもしれない。



【南部川村清川における備長炭製造現場 98.3.28/29】


三日前に炭を取り出した窯。三日前だというのにまだ熱くて窯の入り口にも近づけない。この中に原木をぎっしりと詰めていくのである。窯詰め。言うならば、ここからが備長炭製造の開始である。
長い棒を用いて奥の方から、背の高いものから順番に詰める。高い木が残ると後から入らなくなる。狭い空間にいかに多くの木を詰めるかも炭焼き人の手腕である。ここには二つの窯があり、脱サラの炭焼き人が二人で焼いている。 それぞれ自分の窯を決めていて、自分で焼いた炭がそのまま自分の稼ぎとなる。





原木を詰め終わったら、点火し、すぐレンガを泥でつないで窯に蓋をする。これは水分を抜くためで本格的な燃焼ではない。窯から白い煙が立ち上り、原木の水分が徐々に無くなって行く。後はしばらく放っておく。2,3日すれば蒸気が上がらなくなるそうである。 炭焼き人は、ちょくちょく窯を見に来なければならないのだ。この作業は口焚きと呼ばれる。







		蒸気が上がらなくなって本格的な焼火となる。窯詰めから4〜6日目頃。残念ながら、この作業は見学できなかった。ここか
		らが肝心な作業となるのだ。精錬と呼ばれる作業で、入り口のレンガを上から取り壊しながら窯に空気を入れていく。
		この調整が炭の出来をほぼ決める。6〜7日目頃は2,3日不眠不休の作業になるそうである。焼け具合の合間をぬって家に帰り、
		食事を済ませてまた窯へ戻る。空気が多ければ手前の木が早く炭化し、奥の木とバラつきが出来る。窯の中に満遍なく空気が行き渡
		るようにするには数年の経験が必要になる。樹皮が赤熱し燃えてしまった頃が窯出しとなる。入り口のレンガを全て壊し少量
		づつ窯口から取り出す。

		以下がその作業現場だ。我々は、この窯出しと窯詰めの作業を見学した事になる。「色んな人が見に来るが、あんたらは運がいいよ。
		殆ど焼いてるとこの窯を外から眺めるだけやもん。」とはお二人の話。


長い火掻き棒で手前の炭から外に出す。火掻き棒の先も、勿論炭も真っ赤に焼けている。





		掻きだした炭は、すぐに隅の方に寄せ灰をかぶせる。消火である。これで酸素が無くなり完全に燃えてしまう前の白炭となる。
		つまり、白炭とは炭化の度合いが黒炭に比べて非常に高い炭とも言える。純粋な炭素に近いのである。




		後の作業は、冷めた炭の灰を落とし箱詰めして出荷となる。この一連の作業を、月に何回こなせるかで炭焼き人の稼ぎが決まる。
		このお二人は、まだ脱サラ2,3年目で、「3回できればいい方。」との事であった。聞いてみると、二つの窯を持ち、月4回
		このサイクルをこなせれば、ほぼ大企業の部長クラスの年収に匹敵しそうな炭の単価だった。勿論、料亭や料理店に出回る時は
		その数倍から10倍の価格になっている。焼き肉屋などが、「備長炭使用」とわざわざ銘打って掲げるはずだ。





		この部落(清川)の入り口に備長炭振興館というのがあって、備長炭製造のビデオを流したり、おみやげを売ったりしている。
		備長炭は炭どうしをぶつけると金属音がするので、木琴(?)や風鈴にも使われている。その他、よく洗ってご飯を炊くとき
		一緒に入れたり、水道水の臭みをとったり、民宿では風呂の底に沈んでいた。除湿や消臭にも使われる。キムコなども活性炭
		が原料だから、多分同じ効果なのだろう。ホントかどうかしらないが、OA機器からでるある種の電波も吸収して体にいい、
		とあったので、私もミニ俵(3,800円)を買って部屋に置いている。少し煙草の匂いがとれたような気もする。












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