明日香村「めんどや」の飛鳥鍋: 飛鳥鍋は、今から1400年ほど前の推古天皇の時代に、唐からやってきた人たち がこの地に広めたのが由来とも、千年ほど前にお坊さんが考えたのが始まりとも言われている。いずれにしても、 牛乳で鶏肉を炊いて食べるという料理をルーツにできあがったのが飛鳥鍋。橿原市や明日香村では、これが食べら れる店が何軒かあるが、今回は、明日香村役場の近くにある“めんどや”をご紹介。鍋に柿の葉ずし、わらび餅、 フルーツ等が付いたコースで一人前3,500円。
昨年11月頃だったか、日経新聞夕刊で、ここの飛鳥鍋の紹介記事があった。新年の例会を明日香に決めたのは、 この料理を食べたかったせいもある。この「めんどや」さんでは、40年前からこのメニューを出しているそうで、 全くの牛乳ではなくて少しダシが入れてある。その調合法は当然「企業秘密です。」牛乳で炊くなんてどんな味が するんだろうかと思っていたが、意外に美味しかった。野菜も鶏肉も結構牛乳とマッチしていた。例によってみん な食べ過ぎて、「苦しい、苦しい」を連発していたが、最近ちょっと「食」の歴史ばかりを追究しすぎるかもしれ ない。
まぁ古代食といっても、こんなに牛乳がふんだんにあったとは思えないし、いつでも牛乳が側にあったわけもない ので、これは古代にこうして食べていたわけではなく、「古代の雰囲気を味わいながら、飲む」ための食事と考え た方が良さそうである。 しかし考えてみれば、明日香も、自分の足で歩いてみれば結構広い。よく、「明日香みたいな狭い土地によくまぁ 何十年も。」とかいうような声を聞くが、これはタクシーかレンタサイクルで、パーッと名所・旧跡を廻って「明 日香へ行ってきた」とか言っているタワケどもの言葉である。歩くしか無かった古代人たちにとって、明日香の端 から端までは結構広大な面積を持っているし、都として十分な広さを備えていたのである。明日香の都としての機 能や、古代官僚や庶民達の日常を推し量ろうとすれば、それは明日香を歩いてみるしかない。歩く事で我々は古代 人と同調できる。書斎で本や写真集を見てあれこれ推測しても、その推量・仮説・仮定は、畢竟机上の空論でしか ない。学者であっても歴史家ではない。フィールドへ出ない学者は、私に言わせれば、到底古代史家にはなりえな い。
始めて例会に参加した高野(こうの)さんも、またゴルフで歩くのとは違ったおもしろさがあったようで満足げで あった。このお店の人は親切で、一人1個大きなミカンをお土産にくれたし、橋本さんが忘れたメガネを、タクシ ー乗り場で待っている我々へわざわざ届けてくれた。最後まで気持ちのいい明日香村の散策だった。 みなさんお疲れ様でした。また来月来て下さいね。さぁ来月はどこへ行きましょうか。