安部文殊院の前身。現在の安部文殊院の南西300メートルの地に法隆寺式伽藍配置による大寺院として栄えて いた。 「仲麻呂屋敷」と呼ばれる方形の土壇があり、この土壇が方15mの塔跡で、東方の土壇は、金堂跡と思われる。 なお、北方の土壇は、未調査であるが講堂であろう。おそらく、法隆寺式伽藍配置をもつこの寺は、孝徳天皇勅 願あるいは阿倍倉橋麻呂の創建との所伝をもち、安倍寺の出土瓦からも異議はなさそうである。現在、国指定の 史跡公園として保存されている。
安倍木材団地1丁目86 昭和45年3月11日指定 旧阿部地区二階堂の仲麿屋敷と称する方形の土壇周辺で、安倍寺跡といわれていた。昭和42年度の発掘で、中門、 塔、金堂跡が判明した。北に講堂跡が推定され、法隆寺様式の伽藍配置とわかる。出土品としては唐草文の瓦や 弥生式土器・土師器・須恵器・鉄器等があった。他に中世の灯明皿や、金堂跡南側から磚仏の破片も出土した。 大化の改新時の左大臣阿倍倉梯麻呂の建立との伝えで、今後の調査に期待も大きい。現在公園として保存。 (桜井の文化財 桜井市教育委員会、栢木)
ここが「仲麻呂屋敷」と呼ばれる方形の土壇である。この土壇が方15mの塔跡で、東方の土壇は、金堂跡と思 われる。なお、北方の土壇は、未調査であるが講堂だろうとされている。おそらく、法隆寺式伽藍配置をもつこ の寺は、孝徳天皇勅願あるいは阿倍倉橋麻呂の創建との所伝をもっており、それは安倍寺の出土瓦からもほぼ異 議はなさそうである。 現在「安倍の文殊」として知られている文殊院は、この遺跡の東北300mのところにある。安倍寺は、阿倍倉 橋麻呂によって建立された、飛鳥時代の寺院というが、平安末期には衰退し、鎌倉時代には火災に遭い、その後、 現在の文殊院に移った。この文殊院建立用の瓦を焼いたのが、この安倍寺講堂推定地の西にある安倍寺瓦窯とみ られる。鎌倉時代の平窯式とよばれる窯が五基残存し、桜井市教育委員会によって保存されている。