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安部寺跡(安部史跡公園)

2005.1.29 歴史倶楽部第93回例会




	安部文殊院の前身。現在の安部文殊院の南西300メートルの地に法隆寺式伽藍配置による大寺院として栄えて
	いた。
	「仲麻呂屋敷」と呼ばれる方形の土壇があり、この土壇が方15mの塔跡で、東方の土壇は、金堂跡と思われる。
	なお、北方の土壇は、未調査であるが講堂であろう。おそらく、法隆寺式伽藍配置をもつこの寺は、孝徳天皇勅
	願あるいは阿倍倉橋麻呂の創建との所伝をもち、安倍寺の出土瓦からも異議はなさそうである。現在、国指定の
	史跡公園として保存されている。






	安倍木材団地1丁目86  昭和45年3月11日指定
	旧阿部地区二階堂の仲麿屋敷と称する方形の土壇周辺で、安倍寺跡といわれていた。昭和42年度の発掘で、中門、
	塔、金堂跡が判明した。北に講堂跡が推定され、法隆寺様式の伽藍配置とわかる。出土品としては唐草文の瓦や
	弥生式土器・土師器・須恵器・鉄器等があった。他に中世の灯明皿や、金堂跡南側から磚仏の破片も出土した。
	大化の改新時の左大臣阿倍倉梯麻呂の建立との伝えで、今後の調査に期待も大きい。現在公園として保存。
	(桜井の文化財 桜井市教育委員会、栢木)






	ここが「仲麻呂屋敷」と呼ばれる方形の土壇である。この土壇が方15mの塔跡で、東方の土壇は、金堂跡と思
	われる。なお、北方の土壇は、未調査であるが講堂だろうとされている。おそらく、法隆寺式伽藍配置をもつこ
	の寺は、孝徳天皇勅願あるいは阿倍倉橋麻呂の創建との所伝をもっており、それは安倍寺の出土瓦からもほぼ異
	議はなさそうである。
	現在「安倍の文殊」として知られている文殊院は、この遺跡の東北300mのところにある。安倍寺は、阿倍倉
	橋麻呂によって建立された、飛鳥時代の寺院というが、平安末期には衰退し、鎌倉時代には火災に遭い、その後、
	現在の文殊院に移った。この文殊院建立用の瓦を焼いたのが、この安倍寺講堂推定地の西にある安倍寺瓦窯とみ
	られる。鎌倉時代の平窯式とよばれる窯が五基残存し、桜井市教育委員会によって保存されている。



 



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