Music: 仲良し小道

青春の城下町ふたたび Take off



	自分史「青春の城下町」をこのHPに製作したのは2003年である。あれからアッという間にもう10年が過ぎた。まだ現役の
	サラリーマンだった私は50を過ぎたばっかりで、「人生、まだまだ」という気持ちは十分あったし一旗でも二旗でも揚げてやる
	という想いも心のどこかにあった。ところが人生というものは、何時が絶頂期なのかは自分には判らないもので、絶頂期がずっと
	続いている人の人生は誠に幸せな人生というほか無い。
	普通の一般人は定年を迎えれば、そこでまず一区切りの人生が終わる。役員や社長になってそれからまだサラリーマン生活が続い
	ても、それとて未来永劫続くわけでは無い。2,3年、長くても4,5年すれば会社へは行かなくなる。会社員にとって会社へ行
	かない日々がどのようなものであるかは、実際そうなって見なければわからない。

	1,2年はまだ会社へ顔を出したり、同輩や嘗ての部下と呑んだりして、なかなか会社を辞めたという実感は湧かないが、しかし
	3年目あたりに入ると転勤や退社で呑む人もいなくなる。むかし某●電器では、リタイヤ後2年以内に急死する社員が余りに多く
	て、慌てて「リタイヤ後の人生」や「定年後の過ごし方」などのカリキュラムを設けた。仕事=人生で生きてきた人から仕事を取
	ったら何も残らないのである。わたしはまだ歴史倶楽部やその他の団体の役員等を引き受けているので比較的ましな方だが、何も
	趣味が無く、地域に知人も居ない会社員の余生はいかばかりかと想像する。

	そんな折、我が故郷の「秋月郷土館」が無くなるかも知れないという話を聞いた。私の出生した「甘木市」は無くなり「朝倉市」
	になっているが、財団法人秋月郷土館の所蔵物はすべてこの朝倉市へ寄贈し、朝倉市が新しく「秋月ミュージアム(仮称)」を設
	立するというのである。勿論まだ先の話であるし、議会の反対に遭えば構想が潰える可能性もあるが、しかしいずれ今の郷土館は
	無くなるかもしれないと思うと、無性にもう一度見ておきたくなった。幸い福岡市での用事が出来たので、他にも幾つか所用を加
	えて秋月への久々の里帰りになった。



伊丹から福岡へ。ボンバルかと期待したがジェツト機だった。残念。



板付、福岡空港到着。もうこの空港へは100回くらい着陸したのでは無いかと思う。



	40年前まだマイレージ・クラブなど無かった頃、私があまりに頻繁に搭乗するので、ANAから会員になれという勧誘が来た。
	思えばあればマイレージクラブの前進だったのだろう。当時私は私的なある事情で、毎月のように大阪から東京と福岡へANA便
	を利用していたのだ。



手取り5万くらいの給料の中から毎月2万を飛行機代にあてていたのである。


邪馬台国大研究ホームページ / 青春の城下町ふたたび / Take off