Music: 茶摘み
観光地・秋月

青春の城下町




	
	秋月は、甘木市の中心市街地から北へ約7キロほど行った山峡の山間(やまあい)にある。筑前の小京都として、今では年間約50万
	人もの人が訪れる甘木市きっての観光地である。古処山の麓にひっそりと佇む城下町で、全国で唯一、城下町全体が国の重要伝統的
	建造物群保存地区に選定されている。
	かっては「秋月千軒」(貝原益軒:続筑前国風土記)と称されるほどの賑わいを誇った城下町だが、今ではさしたる産業もない鄙び
	た山村である。しかし往時の面影は、今も町並みや史跡に色濃く残り、それらと四季折々の自然の美しさが奏でる落ち着いた風情は、
	ここを訪れる人たちにいかにも小京都といった趣を与えてやまない。津和野や萩のような色鮮やかな観光地ではないが、しっとりと
	静かな、知る人ぞ知る隠れた観光穴場という所だろうか。勿論私がここで過ごしていた当時は、ここがこんなに脚光を浴びる観光地
	になるとは想像すらできなかったのだが。


「桜の杉ノ馬場」と「桜の長屋門」(水落氏の「筑前の小京都 −秋月−」HPより転載)
	
	上記の「観光地図」に、ほぼ秋月の名所は網羅されている。古処山やだんごあん、少し離れて「江川ダム」、「水の文化村」、「小
	石原焼」といった現代の観光地を除けば、「秋月」の観光は旧跡めぐりにつきる。それ故、その歴史を知ってめぐるのとそうでない
	のとでは、同じものを見てもその深みは異なる。このHPでは、可能な限りそれら旧跡の歴史を紹介しているが、山峡の街の静かな
	佇まいとその歴史を肌で感じようとすれば、やはり現地に行く事が一番である。是非、ご訪問される事をお薦めしたい。


「雪の中の黒門」元古処山城の大手門として古処山の麓にあった。(同上)

	<主な観光地(史蹟)>
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	◆ 眼鏡橋  −我が国唯一の御影石橋− 長崎から石工を呼び寄せて建造したアーチ型の石橋。
	◆ 杉の馬場 −藩士達の登城道− かって両側に杉の大木があった事からこの名前が付いたが、明治38年(1905)に日露戦争
	戦勝記念に桜を植え、現在は「桜の」馬場と言った方が良さそうな並木道である。今、道の両脇には土産物屋や茶屋が並ぶ。約
	500mのこの道は、秋月城(館)に通じる道で藩主のお成り道、また藩士達の登城道でもあった。時には馬術の稽古も行われ、
	当時両脇には土塀をめぐらした武家屋敷が並んでいた。藩校である「稽古館」もこの道沿いにあった。
	◆ 瓦坂   −秋月城大手門− 瓦を縦に並べて土の流出を止めた坂道で、黒田藩時代の秋月城への表門であった。
	◆ 秋月城址 −長屋門・黒門・垂裕神社− 現在は秋月中学校が建ち、その周りは黒田藩時代からの長屋門・黒門が残る。春
	の桜、秋の紅葉を目指して来る観光客は年々増加しており、日曜日はアマチュア・カメラマンのさながら撮影会のようである。
	◆ 秋月郷土館 −美術館併設- 旧藩士の邸宅に、黒田家ゆかりの遺品や古文書、民具などが展示されている。美術館には、旧
	秋月藩士(家老)であった土岐氏寄贈による、中国の陶磁器や古伊万里の名品、ピカソ、ルノワール、横山大観などの絵画が展
	示されている。
	◆ 日照院護摩堂 −宝筺印塔− 黒田家の祈願所であった天台宗の寺で、山門と石段のたたずまいが素晴らしくおよそ370
	年の歴史をもつ 。宝筺印塔は安政4年(1857年)の建立で、正面に彫刻・梵字が刻んである。
	◆ 古心寺 	−黒田家代々の墓− 藩祖長興が父黒田長政の為に建立した寺で、黒田藩主の菩提所。黒田家代々の墓や、
	我国最後の仇討ちとなったと臼井六郎の墓、秋月藩の剣術指南役で九州三剣士の一人、藤田仲智己の墓などがある。藤田仲智己
	は、突きを得意とする丹隻流をあみだした。現在その子孫は夜須町に在住し、その流派を継承している。寺号は長政の院号「興
	雲院殿古心道朴ト大居士」から来ている。
	◆ 長生寺   −長い参道と鐘楼− 慶長5年(1600年)長崎の豪商、末次興膳善入が85歳の時その長命を記念して建てた。
	興膳善入の墓の他に秋月の乱の指導者宮崎車之助三兄弟の墓もある。秋月藩のお抱え絵師「斉藤秋圃」の墓もある。

	◆ その他の寺院	本証寺  (1624)   浄覚寺 (1641)  西福寺 (1616)
			西念寺  (1587)   本覚寺 (1950)  本覚寺 (1950)
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	秋月地区に点在する歴史的に重要と思われる建築物を、所有者の同意を得て保存し、新しく建築する場合もその外観は秋月の町並み
	に調和するようにしようという動きは、1978年に秋月振興会によって始まり、九州芸術工科大学の協力を得て「秋月の町並み保
	存運動」に発展した。街全体を保存地区にしてしまった例は、我が国ではここだけである。秋月中学校の改築に際しても、町並みと
	の調和を図る意味で木造の校舎が採用された。

	秋月の街角で目にする秋月観光案内陶板の版画は、元甘木市の中学校の美術の先生で、甘木市在住の版画家佐野至(さのいたる)氏
	の手になるもので、私も或時期この中学校で一緒だった。直接には習わなかったが、教諭退職後も佐野先生は、甘木朝倉での文化活
	動にも熱心に取り組まれており、甘木市歴史郷土館にも、「平塚川添遺跡」や斉明天皇の「木の丸殿」等々を描いた先生の版画があ
	る。






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