Music: Night
会津若松への旅
2005.4.2(土) 福島県会津若松市
出張で東京に行った帰り、会津若松へ行こうと思い立った。この週末は、wifeもどっか旅行で居ないと言ってたし、
セガレも週末は飛び歩いて居ないので、internetで宿を探して予約し、上野から初めて乗る東北新幹線のやまびこ
に飛び乗った。会津若松の古代遺跡は、ネットで調べてもよく分からなかったので、会津若松市の教育委員会へ電
話してみたら、Kさんという女性のかたが、「墓料(ぼりょう)遺跡」というのが有名だと教えてくれた。
資料を送ってやると言われたが、直前だったのでとても行くまでには間に合わないかなとは思ったが、せっかくの
好意なのですなおに頂いた。案の定、資料は家に戻ったら届いていたが、幾つかの図表はここにも使用させて頂い
た。Kさん、ありがとうございました。また、会津若松市の教育委員会にも謝辞を申し添えます。
上野駅の東北新幹線ホーム前のひろば。と、乗ったやまびこ(下左)。
暮れていく板東平野(?)の夕日(上右)。
1時間ほどやまびこに乗って、郡山で新幹線を降り「会津若松線」に乗り換える。
驚いたことに、猪苗代湖のあたりではまだ結構な積雪だった。上右はホーム上の雪。
さすがは東北。社内のつり革は「楽天イーグルス」でいっぱい。1時間半ほど乗ったら会津若松に着いた。
夜の「会津若松駅」を写して今夜の宿、東山温泉の「瀧の湯」へ向かう。
下左は、朝になって部屋の窓から写した窓の外。川の上流部分。下流は下に。
庄助の湯 瀧の湯 〒965-0814 福島県会津若松市東山町湯本字滝ノ湯108 Tel 0242(29)1000(代)
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上左の大浴場から見ると、目の前には大瀑布。なるほど「瀧ノ湯」か。
これも部屋から写したホテル横の川、下流部分と向かいの山。木々の間にはまだ雪が残り、右手のほうに小さく
滝が写っている。大浴場は1階で、あの滝が目の前に見えており、大きな滝だったのだが、5階の部屋から見る
とずいぶん小さく見える。このホテル旅館は、東山温泉の中でも一番いい場所に立っているのじゃなかろうか。
ホテルの食事はどれもみんなおいしかった。九州や関西では見たことがない、白い磐梯石臼曳きの蕎麦はうまか
った!仲居さんが付きっきりで世話をしてくれて、朝の食事時にも大広間に行くとその仲居さんが居て、つきた
ての餅を勧めてくれて、あまり気は進まなかったが大根おろしで食ったら抜群に旨くて、お代わりしてしまった。
仲居さんは「ほうら、おいしかったでしょう。」と笑った。
会津若松市は福島県の西部にあり、周りを山々に囲まれた会津地方の中心地として昔から栄えてきた。芦名氏が
長い間会津全域を支配していたが、戦国時代末期にには伊達政宗が会津に入り、その後豊臣秀吉の名を受け蒲生
氏郷が会津を治めることになった。氏郷は黒川といわれた地名を若松と改め、城と城下の大改修を行った。
会津若松の町づくりや漆器、お酒といった伝統産業は氏郷の時代に整備されたのである。蒲生のあと、上杉、加
藤の時代を経て、徳川三代将軍家光の異母兄弟・保科正之が会津松平藩を作った。その後松平時代はおよそ200年
続いたが、1868年の戊辰戦争で薩摩、長州といった西軍に破れた。このときの白虎隊の少年たちの物語はあまり
にも有名である。明治以降、会津若松市は復興し、現在人口12万人の都市である。
4月2日、ホテル旅館を出てから上右の旧跡をめぐった。私の専門(?)としては「墓料遺跡」と「大塚古墳」
しかなかったが、福島県立博物館で多くの遺跡の概要がわかったし、帰りに郡山博物館にも寄れたのでよしとし
よう。しかし送ってもらった資料に依れば、他にもまだまだ見所はありそうで、何時の日かまた訪れたいものだ。
以下は、アイコンをクリックすれば順に覧頂けるが、郡山市立歴史博物館は、この会津若松をでて、郡山で福島
空港行きのバスを待っている間に行ったもので、厳密には「会津若松の旅」とは呼べない。郡山も開拓と入植の
歴史がふんだんにあったが、いかんせん1泊の旅ではここをめぐる時間はなかった。また訪れる機会があればい
いが。
松平家墓所 武家屋敷 白虎隊 滝沢本陣 大塚山古墳
墓料遺跡 蒲生氏郷墓 山鹿素行生誕地 会津若松城 県立博物館 郡山市博物館
上は昼間の会津若松駅と、昨夜着いた時の夜の会津若松駅。
会津若松を出てもしばらくは普通の田畑が広がっているが・・・・・
また、猪苗代湖付近に来ると雪の中であった。昨夜は夜であまり見えなかったが、雪原はどこまでも広がっていた。
急に思い立ってバタバタと訪れた会津だったがおもしろかった。残念なのは猪苗代湖湖岸の「笹山原旧石器遺跡」
に行けなかったことだ。資料が事前に届いていれば寄れたかも知れないが、直前に調べた私に非があるのは明白
なので、己の準備不足を呪うしかない。しかし私はいつもこうやって、訪問しそびれた所を残して、数年後再び
そこを訪問するということを繰り返しているので、ここにももう一度来そうな予感がする。さぁ、これからは本
格的に東北地方の遺跡巡りを試みてみようかな。ぼちぼち藤村新一の呪縛から解き放たれてもいい頃だろう。
邪馬台国大研究・ホームページ/ INOUES.NET /会津若松市/