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奈良県・五條市の歴史
歴史倶楽部 第79回例会 2003.12.21(土曜)


 


		ホントは先月行くはずだった奈良県五條市。11月の29日の例会が、ものすごいどしゃ降りの、30数年ぶりという30
		時間ぶっ通しの雨になったため中止になった。これで五條市訪問はパァ−かと思っていたら、忘年会で「12月にリトライ
		しよう」と言う声が出て本日の開催となった。最終日曜は28日で年末なので1週繰り上げた例会である。大阪難波から南
		海電車で橋本まで来て、そこからJRに乗り換えて「五条駅」まで。今回はズボラしてJRが推奨するコースをそのまま拝
		借し、それに最近オープンした「五條市立文化博物館」と温泉「金剛の湯」を加えて、古き奈良の街の探訪記である。




		◆第79回例会案内◆ (会員専用HP「次回例会案内」より。)

		テーマ  : 明治維新の魁(さきがけ)。天誅組が駆け抜けた幕末の五條。温泉付き。
		風がさわやかに吹きはじめる頃、実りの秋がやってきます。その色を濃くして紅葉が山々から里やまちへとゆっくりと
		降りてきます。市内の各社や古刹の境内では、日毎に木々が紅葉して秋にふさわしい落ち着いた風情を醸し出します。
		場所   : 奈良県五條市
			   南海電車なんば駅 − 高野線急行・極楽橋行き − 橋本 − JR和歌山線 − 五条
			      (8:47発)          (9:37着)(10:12発)  (10:28着)
		日時   : 2003年11月29日(土) 10:30ー15:00位
		集合場所 : AM8:30 南海電車なんば駅改札前
		費用概算 : 交通費(往復1,740円)+入浴料(金剛乃湯:900円)
		持参する物: 弁当、雨具、替え上下着。入浴セット。(寒いかもしれませんので、防寒具お忘れ無く。)

		散策コース:
		<五條文化博物館>
		ハイテクで歴史紹介 たっぷり、おもしろ歴史体験。3Dや疑似体験映像などのハイテク技術を駆使して五條の文化と
		歴史を様々な形で楽しく知っていただけます。博物館の建物を上から見るとバウムクーヘンのように見えるところから
		「ごじょうばうむ」と呼ばれています。 
		<宇智川磨崖碑>
		「桜井寺」から国道24号線を東へ行って、バス停「栄山寺口」から「宇智川」に架かる橋の少し上流に「宇智川磨崖
		碑」があります。昼なお暗い「宇智川」左岸、高さ10mの岩壁に彫られた大般涅槃経(だいはんねはんきょう)と、
		その左に高さ60cmの観音様と思われる仏像が線彫され、776年(宝亀7年)7月4日彫られたものらしく、奈良
		時代における仏教遺跡として極めて貴重な磨崖碑です。学術上の価値が高くて、古くから有名で、大正10年3月3日
		史跡に指定されていますが、摩滅が酷(ひど)く、殆ど判読不可能ですが「大般涅槃経」の経文から「諸行無常、是生
		滅法、生滅滅己、寂滅為楽、・・」等と彫られている。
		<栄山寺>
		音無川(吉野川)を眼下に望む榮山寺は藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで栄華をほしいままにしました。創
		建は養老3年(719)藤原武智麻呂公によるといわれています。古来は前山寺あるいは崎山寺と呼ばれ、いつしか「榮」
		の字が当てられたといわれています。「崎」とは岩が川の瀬に張り出したところ、そこには美しいよどみができ、瀬音
		が消えます。吉野川を「音無川」と呼ぶのはこのためで、川の水色は深みのある瑠璃色、青磁色をしています。この榮
		山寺には特筆すべきものも多く、法隆寺夢殿とともに奈良時代を代表する国宝「八角堂」や宇治平等院の鐘とともに
		「平安三絶」の鐘に数えられている梵鐘は、表面の銘文は撰者が菅原道真で筆者が小野道風と伝えられます。
		吉野川は大台ヶ原に源を発し、その澄んだゆたかな水は、 歳月をこえて尽きることなくとうとうと流れています。
		その清流と景観美により、昭和47年には榮山寺から上流25キロメートルが「県立吉野川津風呂自然公園」に指定さ
		れています。沿岸には高岩、芝崎、ナメラなど奇岩景勝の場所が多く、史跡めぐりやキャンプ、鮎釣りなど憩いとレジ
		ャーのコースとして親しまれています。
		<金剛寺>
		金剛寺は今から800年前平安朝の文化人小松内大臣、平重盛公により創建されました。江戸時代初期から野原城主の
		畠山義春公の菩提寺として復興、奈良朝の末期、宇智の大野に流されてきた光仁天皇の皇后、井上内親王(いがみない
		しんのう)とその子の他戸親王(おさべしんのう)の怨霊を祀る宮寺として、また江戸時代の末から明治時代にかけて
		は、奈良唐招提寺の長老の隠居寺、さらには元京都仁和寺、直末の中本寺としての歴史と信仰を有する名刹の古寺でも
		あり、現在は高野山派に属する真言宗となっています。
		<天誅組本陣跡・桜井寺/五條史跡公園>
		條史跡公園・桜井寺。天暦年間(947〜957)桜井康成の創建と伝える古刹。天誅組はここを本陣として五條仮政府と号
		しました。
		<金剛乃湯(こんごうのゆ)>
		お湯は少し白く混濁・塩味(飲めません)で、ぬるぬる感もあり大変良いと思います。残念ながら休憩所と呼べるものは
		ありません。丸太の椅子がいくつかあるだけで、お風呂を出た後はゆっくりくつろげません。お風呂は大変良いだけに
		非常に残念でなりません。ただ、有料の座敷(1000円/1h)がありますので、利用する手もあると思います。その際は
		予約をしておいて下さい。 ボディシャンプー・シャンプー&リンスはあります。タオルは持参して下さい。

		JR大和二見駅 − 橋本 − 南海電車 − なんば駅・解散

		平成15年11月14日



		<明治維新の魁> 近代国家を夢見た男たちの見果てぬ夢の跡 天誅組。
		幕末の風雲急を告げ、攘夷倒幕の嵐がふきすさぶ中、文久3年(1863)8月13日、尊王攘夷の断行を神武山陵に
		祈願するための大和行幸が朝議で決まりました。当時、京都の政局は尊王攘夷派が握っていて、彼らの一部には、これ
		を機に一挙に倒幕をはかろうとする動きがありました。この機をうかがっていた倒幕急進派の中山忠光、吉村寅太郎、
		藤本鉄石、松本奎堂らが皇軍の先鋒となるため、翌14日京都を発ち、千早峠を越えて当時幕府の直轄地であった五條
		に入りました。
		8月17日、天誅組志士30人は一斉に挙兵し、五條代官所を襲い代官鈴木源内を殺害、櫻井寺を本陣として、五條新
		政府を号し、倒幕の旗を揚げました。ところが翌18日、朝議は一変して攘夷派が敗れ、大和行幸は中止。ここで天誅
		組の義挙はその大義名分を失ってしまいました。
		その後、天誅組は十津川郷士960人の来援を得て、高取城に侵攻しましたが撃退され、大日川、広橋、栃原、下市口
		と吉野各地で転戦するも追討軍は1万人を超え、内部の対立、十津川郷士の離反もあり、翌9月24日、東吉野村鷲家
		口に於いて決死的斬り込みを敢行して終わりを遂げました。天誅組の義挙は幕末における下級武士と豪農豪商とが一体
		となった最初の武装反乱で、倒幕及び明治維新の魁としてたたえられる歴史的なものであります。明治維新が実現する
		のは、このわずか5年後のことでした。


		五條市の概要  <五條市HPより。>
		
		奈良県の中西部に位置し、市の中央部を清流吉野川が貫流し、市の北は金剛山、南は吉野連山に囲まれた緑と水と人情豊か
		なまちです。古くから大和と紀伊を結ぶ交通の要衝として文化が芽生え、古墳・社寺・仏閣など数多くの文化遺産が築きあ
		げられてきました。また江戸時代には、城下町・宿場町・市場町として繁栄したことにより五條の町としての基礎が形成さ
		れました。
		平成3年にインテリジェント工業団地「テクノパーク・なら」が開発され、若者に魅力ある産業ゾーンとして始動しました。
		京奈和自動車道(五條道路)も県下でいち早く着工されています。

			市 制 施 行 昭和32年10月15日 
			市役所への交通 JR五條駅から西方向へ300m 
			市役所所在地 〒637-8501 五條市本町1丁目1番1号 
			代表電話番号 07472(2)4001 
			FAX番 号 07472(5)0629 
			面       積	89.04 km2 (H12.10) 
			人     口  	35,205 人 平成12年国勢調査 
			世  帯  数  	10,904 世帯 
			人 口  密  度     395.4 人/km2 
			高 齢 者 比 率      20.7 % 
			人 口 伸 び 率       △1.5 % (H12/H7国勢調査) 




     




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